国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

臨月・妊娠線

いつの間にか臨月に入っていました。

つまり、運命の36週をなんとか乗り切りました。

何が運命なのかというと、何度か書いていますが、私は前回の妊娠で36週目に妊娠高血圧症候群になり、出産するまで病院から出られなかったのです。(帝王切開したので、産後も1週間近く入院しました)

 

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今回は、医師の指示通りに予防できることはやってみています。そのかいあってか、いまのところまだ何も症状が出ていません。結婚指輪は(朝はさすがにむくんでいますが)まだ取り外しが可能です。先日の尿検査もクリアしました。タンパクが出ていません。

 

 

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今回の妊娠で出てしまったものは、妊娠線です。

かなり気をつけてクリームを塗っていたのですが、右側の腰のあたり、ちょうど下着の線が来るところに縦に赤い血管のような線が数本出てきました。医師に見せたらやはり妊娠線だそうです。お腹やおしりや胸などに出るのかと思って、そのあたりを重点的に塗っていましたが、まさかこんなところに出るとは。下着の継ぎ目は皮膚の継ぎ目でもあるのでしょうか…。医師曰く、妊娠線が出るのは遺伝なのだそうです。うちの母親はあったのだろうか…?初耳でした。

あまりよくクリームを塗っていなかったところに妊娠線がでてしまった、と夫に伝えたところ、「耳なし芳一か」と言われてしまいました。サイドは、意外と、文字通り盲点ですよね。

無事VBACできますように。

 

小泉八雲集 (新潮文庫)

小泉八雲集 (新潮文庫)

 

 

ももたろう大好き(名作アニメ絵本シリーズ)

先月、節分を前にして、鬼の出てくる絵本を読もうと思って「ももたろう」を読み始めたのですが、そのブームが一ヶ月経っても冷めそうにありません。

渡米するにあたって、アニメ絵本シリーズ全巻の中古品を、日本で買って持ってきました。当面の日本語絵本をどうするか、と頭を悩ませた結果です。日本の有名な昔話は知っていてほしいけれど、アメリカでは手に入らないのではないか、と考えました。ついでに、世界の有名な童話も日本語でまずは読んであげたいと思ったので、このシリーズは揃えるには手っ取り早かったのです。一世代前のものですが、内容にそんなに変化はなかろうと思って、中古を買いました。(一冊あたり100円くらい)

ちなみに、他に「こぐまちゃんシリーズ」と「ぐりとぐらシリーズ」と、宮崎駿作品集もまとめて買って持ってきました。(↓日本で撮った写真、暗くてすみません)

 

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実際は、その手のものは紀伊国屋でたくさん売っていました。でもまあ、安く手に入ったので良かったです。

しかし、思いのほか文字が多く、読んでみると結構な時間がかかるので、2歳前後では娘に読むには時期尚早という感じがして、娘の好きな動物が出てくるもの2、3冊だけ出しておいて、残りはまとめてしまってありました。

ところが、2歳半に近くなってくると、戸棚からこのシリーズを少しずつ出して持ってくるようになりました。読んであげると、割とよく聞いています。そこで、「ももたろう」も出して読んでみたところ、気に入ったようなのです。

娘は、鬼やおばけが怖いのですが、でも好きなのですよね…。怖いもの見たさっていうのは、本能としてあるものなんですね。

5回、6回と読んで欲しがることもあります(何度も書きますが、結構な時間がかかります…)。寝る前にはほぼこれと何かをセットで持ってきます。もう最近は、このシリーズの中からしか選んで持ってこない感じです。ある程度長いお話を聞けるようになって、話の面白さを楽しめるようになったからでしょうか。

 

「きびだんご食べたい」と言うので、これは岡山にでも行かないといけないな、と思っていたところ、先日、なんと大型日本食スーパーできびだんごが売っていたのです!

(↓食べた後のお見苦しい写真ですみません)

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きな粉だんご、という感じの味でしたが、原材料には「餅粉」と「きび粉」を確認しました。喉に詰まらせないように細かく切って食べてもらいましたが、喜んでいました。めでたしめでたし。

二人目が生まれる前に、娘への愛を叫ぶ

娘、2歳半です。

「魔の2歳児」という言葉を妊娠中からよく目にしていたので、出産してからも、どんなものなのだろうかと思っていました。今回は、まさに魔の2歳児ど真ん中である我が子が、いかに可愛いか、という内容です。親バカです。

 

妊娠中に一番心配だったのが、我が子をかわいがれなかったらどうしよう、ということでした。これは結構本気で悩んでいました。お腹の中にいる間は何も言わないし動き回らないけれど、これが外に出た瞬間から泣いたり、少し経てば動き回るようになる、ということが妙に恐ろしく感じられたのです。あと、私は自分の容姿が好きではないので、自分に似てしまったらかわいがれないのではないか、というのも心配でした。

生まれてみると、全く自分に似ておらず、色素が薄くてはじめは金髪だったし、色白でとてもかわいい女の子です。おまけに小さかったです。小さく生まれたので、赤ちゃんの頃の間は、他の子より3ヶ月くらい大きくなるのが遅い感じでした。だから、新生児サイズの期間が長かったです。

泣くには泣くけれど、何もできないし、本当にか弱い赤ちゃん。自分は母親、というよりも、お世話係一号だ、というくらいの責任感と義務感でお世話をしていました。天からの授かりものを、畏れ多くもお育てする、という使命を実行するために、自分は存在しているのだとその時本気で悟りました。

古語の「かしづく」には、「大切に守り育てる」という意味もあるのですが、それがようやく分かりました。確かに、子どもにはかしずいているとしかいいようがない面があります。

もう、これは『竹取物語』の嫗の気持ちです。娘はいつか月に帰ってしまうのではないか、と不安になる時もありました(今でもたまにそう思います)。

 

この時点でかなり溺愛しているのですが、まだ言葉を話していないからかわいいのではないか、と内心疑っていました。意味のある言葉をしゃべり始めると、女の子は生意気だとか、一人前のことを言うとかで、かわいく感じられなくなるかもしれない、と不安に思っていました。

自分が単なるお世話係から、「母親」になったのだなあ、と実感するようになったのは、娘が1歳3ヶ月になり、「おかあさん」と呼んでくれるようになってからです。実際の発音は、「おかあちゃん」です。

実際、しゃべり始めたら、かわいいのなんの。

まず、声がかわいいのです。こんなに子どもの声ってかわいかったかなと思うくらい、何度聞いてもかわいいです。歌を歌うようになると、それがまたかわいい。

それから、発音がかわいい。「さしすせそ」が、「ちゃちちゅちぇちょ」になるので、何をしゃべってもかわいいのです。私達夫婦は、子どもが生まれても「赤ちゃん言葉」が出ることはなかったのですが、娘が舌足らずなしゃべり方をするようになると、かわいいのでつい真似したくなってしまいます。娘がその場にいない時も、二人でよく娘のモノマネをしています。

最近は、「ちゃ」が「つぁ」になってきました。なぜか。「おとうちゃん」が「おとうつぁん」になります(「おかあちゃん」も然り)。このままいくと、「おとっつぁん」になる日も近いかもしれません。

これだけで、もうしゃべっている内容が何であってもかわいいのです。文字にしてみるとかわいげがないことでも、実際に娘が発していると、かわいいとしか言いようがありません。毎日私は「かわいいなあ」を連発しています。娘は特に喜んでいる節はありませんが。

 

そして、動きがかわいいです。短い手足で走ったり踊ったりよじ登ったり…もう何をしていてもかわいいのです。2歳って、だいぶ大きくなるし、赤ちゃんのようなかわいさはなくなるよなあ、と思っていたのですが、やっぱりその時その時のかわいさというのがあるものです。それにしても、ここまで2年半子育てをしてきて、何だか、今この時期が一番、妊娠前から想像していた「小さい子どものいる生活」だなあ、としみじみ思います。

「子どもは3歳までに一生分の親孝行をする」という言葉をどこかで聞いたことがあるのですが、この先、どんな風に子どもが成長していっても、これまでの娘のかわいさを胸に頑張ろう、と思えます。逆に、子どもが小さい頃の記憶があるからこそ、親はこの先のティーンネイジャー育児を乗り切れるのではないか(もしくは子離れできないという事態も起こってくる)と思いました。私はこれまで10代の子ども達ばかり見てきたので、子どもというものへの見方が偏っていたように思います。

自分ではその気は全く無かったのですが、今思えば、これまでの私の子どもの見方は「性悪説」的でした。子どもなんて、言うこときかない、ききたくないのが当たり前で、少しでも楽をしようとするし、後先考えずに自分のしたいことを優先するし、他人の迷惑を考える余裕もない。他人の目がなかったり、集団になるとそれは顕著で、そういうものであるということが前提でそこから考えていつも教員という仕事をしてきました。まあ実際、そうする必要があるからそうなっていったのですが。

しかし、我が子を生まれた時から見ていると、やはり「性善説」、人は生まれながらにして「善」である、と思わざるを得ません。もう、善の塊。幸せの塊。毎日一緒にいてくれてありがとう、という気持ちしかありません。

 

ただし、甘やかしているというのではないつもりです。あいさつや歯磨きなど、しつけや安全・健康に関わることは、言うことを変えないようにして、毅然とした態度で臨んでいます。最近、歯磨きは毎日バトルですね…。本当に頑固な時は頑固な子です。以前は自分で磨きたがって、仕上げ磨きをさせてくれませんでしたが、最近は磨くこと自体を拒否しているので、無理やり仕上げ磨きをせざるを得ない状況です…。

でも、歯磨きが終わると上機嫌で歌い出したり、人形遊びの時に母親と同じことを言って人形に歯磨きしてあげたりと、心には届いているのかな…?と思います。もう少しだと思って頑張ります。

 

二歳半近くになってから、娘のパーソナリティーに急に変化が出てきました。何だか、しゃべり方が、「お調子者」なのです。それどこで覚えてきたの…?というしゃべり方を、保育園に行く前からし始めました。テレビもそれほど観ていないのに…。あと、変顔も得意です。夫婦で、お互いに、相手に似たんだねと言い合っています。

 

第二子妊娠中ですが、特に母親に対する執着が高まったりはしていません。これは少し寂しいですが、助かっていることでもあります。元々お父さん大好きっ子(に仕立てるつもりで子育てしていた)なので、良かったです。

 

現在一番の心配事は、次に生まれてくる子を、長女のようにかわいがることができるのか、ということです。自分自身が次女なので、第二子の扱いに関しては色々思うところがあります。自分の子どもには悲しい思いをさせたくない、とは思うものの、これだけ長女となる娘を溺愛している中で、第二子となる次女を平等に扱えるのだろうか…という不安が常にあります。今はただ、「自分に似ませんように」と祈るばかりです。

とはいえ、自分に似ていたらそれはそれでかわいく思えるかもしれないし、長女を妊娠中に感じていた時と同じように、その心配は杞憂に終わることになるのかもしれません。

 

 

 

日本語教育についてのあれこれ その2

とりとめもない前回の続きです。

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最近行き始めた日本語教室は、少人数制なのですが、私以外のお母さん方は全員国際結婚でした(つまりお子さんは皆ハーフちゃんです)。年齢も娘より数ヶ月上の子が多いのですが、だいたい同じくらい(2歳)です。そして、みんなよく日本語をしゃべっています。英語が出てくることは少ないです。(少し小さい子は英語が出てくることがあります)

教室の内容は、日本人向けの早期教育という感じです。漢字やものの名前のフラッシュカードをしたり、ひらがなを書く練習をしたり、みんなで絵本を読んだり、工作をしたり、歌を歌ったり。1時間弱で盛りだくさんの内容です。日本語幼稚園に附属しており、3歳になるとパートタイムからフルタイムまで選べる幼稚園に入ることもできます。この教室の内容を発展させたことを、遊び時間含めて午後までやってくれます。かなり、日本語にどっぷりな環境です。

(ちなみに、ここで日本語の絵本を借りることもできます。)

 

 

この教室で知り合ったお母さん方に、気になることをいくつか質問してみました。すると、答えは意外なものばかりでした。家庭によって、もちろん程度の差があるとは思います。私がお話した3〜4家庭は以下のような感じでした。

  • 家ではお子さんと何の言語で話していますか? →日本語のみ
  • お父さんは日本語を話せますか? →ほとんど話せない(英語のみ)
  • お子さんはお父さんとは英語でコミュニケーションをとりますか? →英語はほとんど話さない(父親は子どもが何を言っているのか、だんだんわからなくなってきたらしい)
  • この教室以外に、現地のプリスクールなどに通っていますか?また、通わせる予定ですか? →学校関係はこの日本語教室のみ。現地のプリスクールには通わせる予定はない(4歳になったら、5歳からのキンダーガーテン(ほぼ義務教育)の集団生活に慣れさせるために通うかもしれない)
  • 子どもには、英語に触れる環境も用意した方がいいと思いますか? →特に必要を感じない キンダーの一年間で十分話せるようになるらしい
  • 我が家は夫も日本人だが、英語も教えた方が良いと思いますか? →両親日本人でも、現地校へ行き出すと日本語をさっぱり忘れてしまうらしいので、学校へ行き始めるまでに日本語を少しでもたくさん教えるべきでは?

ここの幼稚園の主催者の先生(女性、日本人)も、国際結婚でお子さんがもう大きいのですが、土曜日には日本語補習校にも通って、立派にバイリンガルに育っているようです。やはり、家庭では徹底して英語を禁止していたとのことです。

バイリンガルを目指すには、徹底して第二言語を鍛えることが必要なようです。まあ、そうですよね…。

特に、ここの教室に通わせるようなお母さんたちは、相対的に日本語教育に対して「意識が高い」人たちばかりだと思います。そのお母さんたちが皆国際結婚だったというのは、興味深い事実だなと思いました(場所柄もあるのですが)。国際結婚ということは、お母さん自身は英語も堪能なのだと思います。それでも、なのか、それだから、なのか。現地校へ行き始めるまでに、少しでも日本語の環境にいて日本語を身につけてほしいという様子でした。逆に、英語に関しては放っておいても大丈夫、というある種の余裕を感じました。

ただ、「家では日本語のみ」といっても、やはり国際結婚の両親の元で育つのと、日本人の親の元で育つのとでは、圧倒的に英語に触れる時間が違うと思います。キンダーへ行くまでほとんど英語に触れさせないで育てるのも、我が家としてはそれはそれで不安になってしまいます。どうしたら良いものか、悩みます…。

 

 

我が家では、キンダーに入っても、土曜日の日本語補習校には通わせない、ということが決まっています。これは、大切な土曜日一日を日本式の学校生活に使ってしまうのは勿体無い、という夫の考えによるもので、何度も話し合った結果ようやく私が納得したものであります。その分、私が家で日本語を教えれば良い、ということなのです。それ以外にも、土曜日の過ごし方に関して、まあ私の前職のあり方とか色々なことが積み重なった結果のことなのですが。(従って、私が土曜日に補習校で勤務するという可能性もゼロです)

こういう話をすると、たいていは「家で親が教えるだけでは、難しいのではないか」と言われます。現にお子さんが小学校でどっぷり英語環境にいるお母さんは、その難しさを実感されているのでしょう…。

どうなのでしょうか…。そう言われ続けると自信が無くなってきます…。

 

 

ここまで自分が書いてきたものを客観的に読み返してみると、何だか自分が無意味に焦っているのがよくわかりました。どうして子どもに日本語が必要なのか。それは私の、非常に主観的な理由によるものなのです。子どもにとって一番良いことは何なのか。それをもっとこれから考えていくべきですね。今後、日本に帰って日本で教育を受ける可能性があるのならば、ある程度日本流の教育に触れておく必要があります。しかし、我が家の場合はどうかというと、まだまだ先のことでどうなるかわからないものの、夫はしばらくは帰らないつもりのようです。だから、私がこれまでどっぷり浸かっていた「日本的な観点」からの「日本語力」は、それほど必要ないのかもしれません。

 

これからは日本も、大学入試が変化し、センター試験も2020年を最後に廃止されることが決まっています(新試験の導入)。私はもはや「前時代的」な教員なのでしょう。アクティブラーニング導入により、日本の国語教育も変わっていくと思います(これについては別に意見があるのですが、いずれ記事にしたいです)。

私としてはむしろ、どんどん変わっていってほしいと思います。センター試験なんて、特に国語の試験はもうずっとひどいものだし、本当にやっている意味のないものでした。あれで200点も配点があって将来を左右される受験生は不憫でなりません。(和田秀樹氏はずっと「現代文で高得点を狙うのは諦めよう」的なことを書いています。)点数を取るだけの指導はある程度はできるのですが、年々やっている自分が嫌になってくるのを感じていました。他教科に比べて小問1問あたりの配点が高すぎますし。

やっぱり、現代文は小論文を書かせて、古典は知識問題で実力を問うべきだと思います。センターは選択問題しか出せないくせに読解に偏りすぎて、変な問題になっていました。(これについても別の記事にしたいです…)。こんな力、磨いてどうするんだよ、という。

私はこの異国の地で、日本語とは何か、日本語教育とは何か、娘を見守りながら、のんびり考えていきたいと思います。

 

 

 

 

日本語教育についてのあれこれ その1

在米日本人にとって、育児する上で重くのしかかってくるものが、日本語教育だと思います。

私は未だに日本人以外のママ友、知り合いがいない状況ですが、ありがたいことに数は着実に増えていっています(行動範囲が広がったことが大きいです)。お話していると、まず何といっても話題になるのが、日本語教育です。

もう、色々と恐ろしいことを聞きます。

  • 両親が日本人で、家で日本語しか話していなくても、学校へ行き出すと子どもは英語しか話さなくなる(親は、家では英語を禁止するなど、徹底した態度で臨まないといけない)
  • 10歳過ぎまで日本で暮らしていても、1、2年で日本語を話したがらなくなる(←これは、私が思うに学校での人間関係も絡んでくる年頃だからだとは思います)
  • 両親が(日本人)大学教授で、家で一生懸命教えて土曜日に補習校に行かせても、ほとんど日本の学習内容は身についていない
  • 小学校高学年になると、日本語補習校についていけなくてやめてしまう子どもが多い
  • ある日、子どもが、日本語を話したくない(勉強したくない)と言い出す

…等々。

 

海外に住んでいると、勝手に「バイリンガル」になると思われることが多いようで、私も当初はそう思っていたのですが、実態は全く違います。英語の発音は良かったり、日本語も日常会話なら理解できるので問題なさそうに見えるのですが、実は、どちらも中途半端な「セミリンガル」になる可能性が十分にあるのです。

もちろん、「バイリンガル」が何を意味するのか、どこまでを目指すのか、というのは人によってまちまちで、家庭の数だけ方針があるのだと思います。

でも、大抵どの家庭でも、最初は、「どちらの言語でも大人社会で通用する言語能力を身につけてほしい」と願うのではないでしょうか。しかし、次第にどちらかを取捨選択しなければならない、という事態になる場合があるようです。そして、どちらを選ぶかというと、今後の生活や学習の基盤となる言語、ということになります。つまり、アメリカにいる限りは、英語になるのです。これは、心のどこかで覚悟しておかなければいけないと、最近では思っています。

「大人社会で通用する日本語」を身につけるには、何といっても漢字の読み書きが必須です。日本社会では、漢字ができないと、日本人として、いや人として認められない風潮が色濃くあるのではないでしょうか。例えば帰国子女でいくら英語が堪能でも、日本人の顔をして日本語を話しているのに小学生レベルの簡単な漢字が読めなかったり書き間違っていると、かなりバカにされると思います。(実際社会人になってから必死で漢字を勉強したという人の話を聞きました)

特に私なんかは、(元)国語教員ということもあり、ほんの一年前まではアメリカに住むなんて現実として考えられなかったし、自分の子どもが日本語を話すのは当たり前だと思っていたし、むしろ平均的な日本人よりは日本語や日本文化に親しみを持つように子どもを育てられるだろうと自負していました。

それなのに、自分の娘が最初に挙げたような状況になってしまったとしたら…どうしよう。

もう考えるだけで恐ろしくて、焦ります。

これは、日本国内で英語ができることと、米国内で日本語ができることが、当たり前ですが同じ価値を持たない、ということも関係しています。圧倒的に、後者の方がモチベーションが低くなりがちです。日本語ができて良いことなんて、ほとんどないし、むしろダサい、くらいに思われるのです(ついでに英語ができないのに学校に来る母親が嫌われたりするらしい…涙)。おそらくオタクのアメリカ人で、日本語少しできる人なんかは、たまにいるのですけれどね。

夫には、「日本語ができないことの、何がそんなに嫌なの?」みたいに言われるのですが、もう理性を超えた、本能的な恐怖だと思います。自分の子どもが日本語ができないというのは、自分自身のアイデンティティの崩壊と同義なのです。我が家は家庭内でも、これだけ日本語教育に対して温度差があるのです…。ましてやそれぞれ家庭ごとに色々な方針があるだろうことは想像に難くありません。

そして、意外なことに、この日本語教育について、より熱心なのは、「片方の親(特に母親)が日本人」の、国際結婚カップル親子だということに最近気づきました。

長くなってしまったので、その2に続きます…。

  

娘の日本語状況(2歳5ヶ月 在米7ヶ月)

娘の日本語

 

  • 娘2歳5ヶ月
  • 在米7ヶ月

 

娘の成長記録を、これからは言語にフォーカスして書いていこうと思っています。生まれてからこれまでの取り組みは、追々別の記事にすることにして、ひとまず、この2ヶ月くらいの成長を書きたいと思います。

 

家では…

我が家は夫婦共に日本人なので、家では日本語しか使いません。娘にももちろん日本語でしか話しかけません。ただ、単語レベルでは英語も少し教えています。絵本は、英語のものも借りてきているので、読み聞かせを多少はしています。英文を読んだ後に、日本語で説明しながら読んでいます(けっこうわからない単語があるので、予習必須です…)。YouTubeは1歳半頃から、日本語英語関係なく見ています。アメリカに来てからは日本のテレビ(Eテレ)も観ていますが、最近変化があったので後述します。以前書いたように、月、日、曜日の感覚を身につけられるように、現在取り組んでいます。

 

五十音

まずはひらがなだけですが、五十音表を見ながら、「あいうえお」の歌を歌って一通り言うことはできます。たまに、音程をなくして唱えていることもあります。また、「あいうえおのえほん」のほぼ全ページを自分で読む(?)ようになりました。大きな文字を指でなぞることもできます。本文はおそらくほとんど記憶してしまっているのですが、たまにヒントを得るように文字を見ていることもあります。

文字認識(読み)はもう一歩、という感じです。まだ形と音が一致するものの方が少ないくらいじゃないかな、と思います。

「あいうえおのえほん」を読み始めた頃の記録

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仮定・条件

「〜したら、〜できるよ」「〜たら、〜しようね」という、仮定や条件付けの内容を理解できるようになりました。おかげで、どうしても後回しになってしまう野菜や食べ慣れないものも、好きなものをおかわりする前に食べさせることができるようになりました。他にも、イヤイヤする歯磨きや、着替え、おむつ替えにも応用できます。

 

因果関係

「今〜(だ)から、ちょっと待っててね」のようなことを、自分で言うようになりました。「から」「だから」を使って文章を組み立てています。

 

Eテレ幼児向け番組…

朝の時間の一連の幼児向け番組(「みいつけた!」から「えいごであそぼ」くらいまで)を、渡米してから毎日夕食の準備時間に見せていたのですが、最近、飽きてきました…。YouTubeの方が良いみたいです。おそらく、自分で観たいものを選べて、次々と変えられるから。それから、自分が観たいDVDを持ってくるようにもなりました。やはり、現代っ子は、マスに向けて作られたコンテンツには見向きもしなくなるのでしょうか…。

 

おもちゃ動画…

YouTubeの中でもお気に入りは、以前は歌やEテレ関連だったのですが、最近はユーチューバー(?)の作っているおもちゃ動画をよく観ています…。おもちゃ自体を欲しがったりするわけではなく、ただ観て楽しんでいます。こういうのってどうなんだろう、と思っていたのですが、自分が遊ぶ時の参考になるらしく、動画を真似してごっこ遊びをしたり、遊び方のバリエーションが増えてきたりもしているので、まあいいのかな、と思ってしばらくは見守ることにしました。ちなみに、自分でiPadからYouTubeアイコンをクリックして観ています。本当に使うようになるのだな…と感心しています。

 

日本語教室

週に一回親子で参加する日本語教室へ行き始めました。「読み・書き」も、みんなと一緒に遊びながら触れています。せっかく行っているので、教室でやったことに関連することを、家でも一週間折に触れて思い出させたり、同じようなことをやってみたりしています。最初に書いた「あいうえおの歌」なんかは、教室で歌っているものです。(実は最近までは自作のあいうえおの歌でした…)

この教室へ行って勉強になったことは、絵本の文字を指でたどりながら読む、ということです。教材となる冊子が、親子に一冊配られて、みんなで声を出しながら指でなぞって読むのですが(漢字もバンバン出てくる)、指でたどることで、今どこを読んでいるかわかり、子どもも集中できるようになった気がします。それまでは、子どもが自分でめくりたいタイミングでめくろうとしてしまうので、なかなか全部を通して読むことが難しい本もありました。

自分自身もそういえば、小学校低学年のうちは、なぞりながら教科書を読んだ覚えがあります。映画の英語字幕を見ながら、英語を勉強するようなものかもしれません。

 

2歳の誕生日を迎えた時点で歌えている歌を、以前、記念に記録したことがありました。↓

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この時、日本語の歌だけで40曲くらいあったのですが、今はレパートリーが、少なくともその倍くらいにはなっていると思います。(もう数えていないのですが…)

にほんごであそぼ」のDVDも買い足し、古い日本語の歌詞にも触れています。

(「吾れ十有五にして…」、「じゅげむじゅげむ」、「うなりやベベン平家物語」(←祇園精舎の前半部分)なども歌うようになりました。)

人には「視覚優位人間」と、「聴覚優位人間」がいるとのことですが、娘は今の所完全に「聴覚優位人間」だと思います。耳で聞いたことの方が、よく理解できて、覚えるようです。私も完全に「聴覚優位人間」なので、遺伝かなと思います。あと、親の私がいうのも本当に親バカですが、娘は音感が良いと思います。歌の音程がとても良いです。

 

 

にほんごであそぼ たっぷり [DVD]

にほんごであそぼ たっぷり [DVD]

 

 

 

 ↑この「ありがとう」は、番組オリジナル曲の他、童謡がまとめて入っていて、とても良いです。

月・日・曜日

上で、娘は「聴覚優位人間」と書きましたが、それがよくわかったのが、この取り組みです。最初はスケッチブックを用意して読んでいましたが、一ヶ月続けたら(予想はしていましたが…)開くのに飽きてきてしまいました。ところが、復唱したり、自分で言うのが嫌になったわけではないらしく、夜寝る前に言うようになりました。なかなかやめずに寝ないので困るくらいです。日本語は日本語で連続して、英語は英語で連続して言う方が好きなようです。ただ、「今日は何曜日だった?」のような質問には、当てずっぽうなことが多いです。。

始めた頃の記録

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まとめ

娘の日本語力は、今のところ日本にいる平均的な子と、それほど変わらないのではないかと思います。よくしゃべっているし、文字も認識し始めています。それもそのはずで、まだ家の中でも外でも、ほとんど日本語しか使わない生活しかしていないからです。むしろ、ちょっと英語圏に住んだからといって、生まれてからこれまで必死に語りかけたり読み聞かせてきた日本語が無になることなどはない(なったらたまらないとは思いますが…)ということがわかり、ほっとしています。
ただ、何の言語でも、一つのハードルとなるのが「読み・書き」で、日本語は特にそれが難しい言語だと思います。だから、少しまだ年齢には早いかな、というくらいの取り組みをしていかなければ、今後、年齢相当の日本語力は維持できないと考えています。具体的には、少し早めに漢字に触れて苦手意識を持たないようにしていきたいです。とはいえ、聴覚優位の娘にはまだ興味も薄いことなので、様子をみながら進めていきます。日本語教室での取り組みを参考にしながら、自分なりに試行錯誤していきたいです。

 

保育園…

日本では、保育園の内定が通知される時期ですね。

思えば我が家は、二年前、オーストラリアで内定通知を手にしました。何だかこう書くと、すごく国際的な感じがするのですが、日本と日本語が大好きなだけの私の人生、どうなってしまっているのだろう…。↓

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3月末に日本に帰国してから、怒涛の入園、復職準備をし、産後復帰を果たしました。(頑張ったわりに、1年でワーママ生活が終わりを迎えるとは…。)つまり、娘は約1年間、日本で保育園生活をしたわけです。

 

保育園に通うことにしました

実は、うちの娘、結局こっちでもしばらくの間保育園に通うことにしました。幼稚園とか、保育園とか、習い事とか、いろいろ考えていたのですが…

見学して回っていた頃の記録↓

 

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結論として、日本語保育園に週2回通い、習い事に週1回行くことにしました。

こっちでも、保育園(特に日本人向け)は激戦という話を聞いていましたが、奇跡的にパートタイムで空きがあったことと、広い園庭もあり(他園と共用ですが、時間で区切っています)見学に行った感じが良かったことが決め手となりました。東京でも、認可と認証の大きな違いがこの「園庭」の有無だと思います。だから認可園が人気なのですよね。

今現在、優先するべきことは、何より娘が安全にのびのびと全身を使って遊んだり、色々な体験をすることだと夫婦で意見がまとまりました。都市部に引っ越したことによって、安全で広い公園に行くこと自体のハードルが上がり(徒歩で行けない)、私の妊娠によって公園遊びがなかなか実現できずにいることが一番の気がかりだったのです。

この保育園は、日本人スタッフの作った日本食の給食も出してくれるし、おやつも朝夕出してくれます。また、初日は一日の娘の様子をメールで写真付きで(しかもたくさん)送ってくれました。今後も、毎週全員にその週の報告を写真付きで送ってくれるようです。ただ遊んでいるだけではなくて、音楽や体育やアートの時間もある、とのこと。ありがたいです。

保育料が高いのが難点ですが(週2日なのに、東京でフルタイムで払っていた金額よりも高い)、優しい旦那様(鬼教官と同一人物)が快諾してくれたので、晴れて入園することができました。東京だったら、中途半端な時期に2歳児クラスに入るなんてまず不可能ですよね…本当にありがたいことです。

現地の人向けの保育園は、とにかく良い評判を聞くことがないので(先生は遊ばせているだけとか、ランチがピザとかマカロニチーズとかフライドポテトとか…)、何かと手厚くコミュニケーションも取りやすい日本人向けのところに行けて、良かったなと思っています。産後しばらくまでは通わせてもらって、3歳を過ぎたらまた幼稚園とか教育的なことは考えよう、とのんびり構えることにしました。

日本語教室の習い事も週一回行くことで、何かしてあげなきゃという親心の自己満足にはなるかな、と考えています。