国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

日本語教育についてのあれこれ その2

とりとめもない前回の続きです。

nicota-in-us.hatenablog.com

 

最近行き始めた日本語教室は、少人数制なのですが、私以外のお母さん方は全員国際結婚でした(つまりお子さんは皆ハーフちゃんです)。年齢も娘より数ヶ月上の子が多いのですが、だいたい同じくらい(2歳)です。そして、みんなよく日本語をしゃべっています。英語が出てくることは少ないです。(少し小さい子は英語が出てくることがあります)

教室の内容は、日本人向けの早期教育という感じです。漢字やものの名前のフラッシュカードをしたり、ひらがなを書く練習をしたり、みんなで絵本を読んだり、工作をしたり、歌を歌ったり。1時間弱で盛りだくさんの内容です。日本語幼稚園に附属しており、3歳になるとパートタイムからフルタイムまで選べる幼稚園に入ることもできます。この教室の内容を発展させたことを、遊び時間含めて午後までやってくれます。かなり、日本語にどっぷりな環境です。

(ちなみに、ここで日本語の絵本を借りることもできます。)

 

 

この教室で知り合ったお母さん方に、気になることをいくつか質問してみました。すると、答えは意外なものばかりでした。家庭によって、もちろん程度の差があるとは思います。私がお話した3〜4家庭は以下のような感じでした。

  • 家ではお子さんと何の言語で話していますか? →日本語のみ
  • お父さんは日本語を話せますか? →ほとんど話せない(英語のみ)
  • お子さんはお父さんとは英語でコミュニケーションをとりますか? →英語はほとんど話さない(父親は子どもが何を言っているのか、だんだんわからなくなってきたらしい)
  • この教室以外に、現地のプリスクールなどに通っていますか?また、通わせる予定ですか? →学校関係はこの日本語教室のみ。現地のプリスクールには通わせる予定はない(4歳になったら、5歳からのキンダーガーテン(ほぼ義務教育)の集団生活に慣れさせるために通うかもしれない)
  • 子どもには、英語に触れる環境も用意した方がいいと思いますか? →特に必要を感じない キンダーの一年間で十分話せるようになるらしい
  • 我が家は夫も日本人だが、英語も教えた方が良いと思いますか? →両親日本人でも、現地校へ行き出すと日本語をさっぱり忘れてしまうらしいので、学校へ行き始めるまでに日本語を少しでもたくさん教えるべきでは?

ここの幼稚園の主催者の先生(女性、日本人)も、国際結婚でお子さんがもう大きいのですが、土曜日には日本語補習校にも通って、立派にバイリンガルに育っているようです。やはり、家庭では徹底して英語を禁止していたとのことです。

バイリンガルを目指すには、徹底して第二言語を鍛えることが必要なようです。まあ、そうですよね…。

特に、ここの教室に通わせるようなお母さんたちは、相対的に日本語教育に対して「意識が高い」人たちばかりだと思います。そのお母さんたちが皆国際結婚だったというのは、興味深い事実だなと思いました(場所柄もあるのですが)。国際結婚ということは、お母さん自身は英語も堪能なのだと思います。それでも、なのか、それだから、なのか。現地校へ行き始めるまでに、少しでも日本語の環境にいて日本語を身につけてほしいという様子でした。逆に、英語に関しては放っておいても大丈夫、というある種の余裕を感じました。

ただ、「家では日本語のみ」といっても、やはり国際結婚の両親の元で育つのと、日本人の親の元で育つのとでは、圧倒的に英語に触れる時間が違うと思います。キンダーへ行くまでほとんど英語に触れさせないで育てるのも、我が家としてはそれはそれで不安になってしまいます。どうしたら良いものか、悩みます…。

 

 

我が家では、キンダーに入っても、土曜日の日本語補習校には通わせない、ということが決まっています。これは、大切な土曜日一日を日本式の学校生活に使ってしまうのは勿体無い、という夫の考えによるもので、何度も話し合った結果ようやく私が納得したものであります。その分、私が家で日本語を教えれば良い、ということなのです。それ以外にも、土曜日の過ごし方に関して、まあ私の前職のあり方とか色々なことが積み重なった結果のことなのですが。(従って、私が土曜日に補習校で勤務するという可能性もゼロです)

こういう話をすると、たいていは「家で親が教えるだけでは、難しいのではないか」と言われます。現にお子さんが小学校でどっぷり英語環境にいるお母さんは、その難しさを実感されているのでしょう…。

どうなのでしょうか…。そう言われ続けると自信が無くなってきます…。

 

 

ここまで自分が書いてきたものを客観的に読み返してみると、何だか自分が無意味に焦っているのがよくわかりました。どうして子どもに日本語が必要なのか。それは私の、非常に主観的な理由によるものなのです。子どもにとって一番良いことは何なのか。それをもっとこれから考えていくべきですね。今後、日本に帰って日本で教育を受ける可能性があるのならば、ある程度日本流の教育に触れておく必要があります。しかし、我が家の場合はどうかというと、まだまだ先のことでどうなるかわからないものの、夫はしばらくは帰らないつもりのようです。だから、私がこれまでどっぷり浸かっていた「日本的な観点」からの「日本語力」は、それほど必要ないのかもしれません。

 

これからは日本も、大学入試が変化し、センター試験も2020年を最後に廃止されることが決まっています(新試験の導入)。私はもはや「前時代的」な教員なのでしょう。アクティブラーニング導入により、日本の国語教育も変わっていくと思います(これについては別に意見があるのですが、いずれ記事にしたいです)。

私としてはむしろ、どんどん変わっていってほしいと思います。センター試験なんて、特に国語の試験はもうずっとひどいものだし、本当にやっている意味のないものでした。あれで200点も配点があって将来を左右される受験生は不憫でなりません。(和田秀樹氏はずっと「現代文で高得点を狙うのは諦めよう」的なことを書いています。)点数を取るだけの指導はある程度はできるのですが、年々やっている自分が嫌になってくるのを感じていました。他教科に比べて小問1問あたりの配点が高すぎますし。

やっぱり、現代文は小論文を書かせて、古典は知識問題で実力を問うべきだと思います。センターは選択問題しか出せないくせに読解に偏りすぎて、変な問題になっていました。(これについても別の記事にしたいです…)。こんな力、磨いてどうするんだよ、という。

私はこの異国の地で、日本語とは何か、日本語教育とは何か、娘を見守りながら、のんびり考えていきたいと思います。