日本語教育についてのあれこれ その1
在米日本人にとって、育児する上で重くのしかかってくるものが、日本語教育だと思います。
私は未だに日本人以外のママ友、知り合いがいない状況ですが、ありがたいことに数は着実に増えていっています(行動範囲が広がったことが大きいです)。お話していると、まず何といっても話題になるのが、日本語教育です。
もう、色々と恐ろしいことを聞きます。
- 両親が日本人で、家で日本語しか話していなくても、学校へ行き出すと子どもは英語しか話さなくなる(親は、家では英語を禁止するなど、徹底した態度で臨まないといけない)
- 10歳過ぎまで日本で暮らしていても、1、2年で日本語を話したがらなくなる(←これは、私が思うに学校での人間関係も絡んでくる年頃だからだとは思います)
- 両親が(日本人)大学教授で、家で一生懸命教えて土曜日に補習校に行かせても、ほとんど日本の学習内容は身についていない
- 小学校高学年になると、日本語補習校についていけなくてやめてしまう子どもが多い
- ある日、子どもが、日本語を話したくない(勉強したくない)と言い出す
…等々。
海外に住んでいると、勝手に「バイリンガル」になると思われることが多いようで、私も当初はそう思っていたのですが、実態は全く違います。英語の発音は良かったり、日本語も日常会話なら理解できるので問題なさそうに見えるのですが、実は、どちらも中途半端な「セミリンガル」になる可能性が十分にあるのです。
もちろん、「バイリンガル」が何を意味するのか、どこまでを目指すのか、というのは人によってまちまちで、家庭の数だけ方針があるのだと思います。
でも、大抵どの家庭でも、最初は、「どちらの言語でも大人社会で通用する言語能力を身につけてほしい」と願うのではないでしょうか。しかし、次第にどちらかを取捨選択しなければならない、という事態になる場合があるようです。そして、どちらを選ぶかというと、今後の生活や学習の基盤となる言語、ということになります。つまり、アメリカにいる限りは、英語になるのです。これは、心のどこかで覚悟しておかなければいけないと、最近では思っています。
「大人社会で通用する日本語」を身につけるには、何といっても漢字の読み書きが必須です。日本社会では、漢字ができないと、日本人として、いや人として認められない風潮が色濃くあるのではないでしょうか。例えば帰国子女でいくら英語が堪能でも、日本人の顔をして日本語を話しているのに小学生レベルの簡単な漢字が読めなかったり書き間違っていると、かなりバカにされると思います。(実際社会人になってから必死で漢字を勉強したという人の話を聞きました)
特に私なんかは、(元)国語教員ということもあり、ほんの一年前まではアメリカに住むなんて現実として考えられなかったし、自分の子どもが日本語を話すのは当たり前だと思っていたし、むしろ平均的な日本人よりは日本語や日本文化に親しみを持つように子どもを育てられるだろうと自負していました。
それなのに、自分の娘が最初に挙げたような状況になってしまったとしたら…どうしよう。
もう考えるだけで恐ろしくて、焦ります。
これは、日本国内で英語ができることと、米国内で日本語ができることが、当たり前ですが同じ価値を持たない、ということも関係しています。圧倒的に、後者の方がモチベーションが低くなりがちです。日本語ができて良いことなんて、ほとんどないし、むしろダサい、くらいに思われるのです(ついでに英語ができないのに学校に来る母親が嫌われたりするらしい…涙)。おそらくオタクのアメリカ人で、日本語少しできる人なんかは、たまにいるのですけれどね。
夫には、「日本語ができないことの、何がそんなに嫌なの?」みたいに言われるのですが、もう理性を超えた、本能的な恐怖だと思います。自分の子どもが日本語ができないというのは、自分自身のアイデンティティの崩壊と同義なのです。我が家は家庭内でも、これだけ日本語教育に対して温度差があるのです…。ましてやそれぞれ家庭ごとに色々な方針があるだろうことは想像に難くありません。
そして、意外なことに、この日本語教育について、より熱心なのは、「片方の親(特に母親)が日本人」の、国際結婚カップル親子だということに最近気づきました。
長くなってしまったので、その2に続きます…。