国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

日本へ帰ってきてからの雑感

もう6月も後半ですね。アメリカ在住の方は学年度を終え、日本へ一時帰国に向かう方々が増えてきたのではないでしょうか。

 

我々も日本へ到着してから、早くも2ヶ月になろうとしています。

 

だいぶ時間が経ってしまいましたが、テキサスの小学校での惨事のニュースを聞き、もう何と表現したらよいのか分からないやるせなさを感じていました…。

 

もう…何回こんなことが繰り返されるんだろう。「Enough is enough」(いい加減にして)というプラカードを掲げて、子ども達がストライキを起こして抗議していた光景を、近所でも何年も前に見ました。それから、何も、変わっていません。

 

アメリカは、本当に「規制」が嫌いです。一度勝ち取った自由をそう簡単には手放せない。マスク一つ取ってもそうで、コロナの舵取りはうまくいかず、アメリカ国内で100万人が亡くなりました。100万人…。このニュースを日本の電車内の画面で見ることになるとは…。

 

銃規制も、本当に根深い問題です。

 

私がアメリカの小学校に初めて足を踏み入れた時、正面玄関に掲示されていたプレートに firearms (要するに銃)の持ち込み禁止と、銃の絵が大きく書かれていて、唖然としました。こんなに大きく、書かないといけないんだ…!と。そして、いつしかそれが当たり前になり、銃への恐怖も無意識下へと潜っていきました。

 

学校でも、ショッピングモールやスーパーマーケットでも、路上でも、常に危険の中にありました。おかしな人は日本にももちろんいるのですが、凶悪な武器へのアクセスのしやすさと、大麻だけでなく少量の違法薬物の所持が合法(←本当の話)という環境下では、危険度が段違いです。我が州では、大麻は21歳以上は合法でした。

 

長女の小学校では、日本へ帰る1週間前にも、体育の授業中にロックダウンが行われ(訓練じゃありません)、体育館の鍵を閉めて静かにする、ということがあったそうです。(不審者情報があったということなんでしょう)

 

日本へ帰ってきて、生活を始めると、アメリカでの生活の中で無意識に感じていた恐怖を、いやでも意識させられました。

 

綺麗な都市部のビルの出入り口付近や、少し屋根があるところがあると、座り込んでる人やテントがないか、ついチェックしてしまったり…(当然のように誰もいないどころか、ゴミ一つ落ちていなくてびっくりしました!)。地下通路にも、都市部で雨の日に少しだけホームレスを見かけましたが、自分の家にしているような人はいないようでした。それだけでもすごいことです!

 

これが平和っていうことなんだ…。街が綺麗で治安が良いってこういうことなんだ…。約2年半ぶりの日本で、久しぶりに肩の力が抜けたような気がしました。

 

「そういえば、これが当たり前だった!」

 

丸6年に渡ったアメリカ生活で、感覚が完全に変わってしまっていました。アメリカの映画やドラマを見ると、そこに「日常」を感じるようになっていました。見慣れた標識や看板、全米チェーンのお店は言うまでもなく。夫に言わせれば、「ウォーキング・デッド」ですらも日常の延長にすぎないのです。私はゾンビ物は苦手なので過去に数話を観ただけなのですが、まあ、現実世界に、「ウォーカー」がそこここにいます。ウォーキング・デッドが「あるある」の世界…。明らかにあの世界観は、アメリカ社会の延長なのです。

 

アメリカを出る直前、住んでいたところは、自然がとても美しいところでしたが、これが最後だと思うと、どんなものも愛おしく思えてきました。まるで末期の目のように。

 

人でいっぱいのCheesecake Factory に始まり、日本にはないAll Way Stopの交差点、中央分離帯で物乞いをするおじさん、高速道路の入り口で物乞いをするお姉さん、Safeway の入り口で物乞いをする青年、Costcoの入り口で物乞いをする小さい子連れの家族、幹線道路の脇を昼間からすごい格好で歩いている売春婦達、子どもの遊ぶプレイグラウンドの傍の公衆トイレに設置された違法薬物注射器用のゴミ箱、電線に引っかかっているニーカー、歩道に並ぶテント…

 

はっきり言って、これらのうちの多くは、子ども達に見せたいものではありません…。でも、普通に生活しているだけで、嫌でも目に入ってくる光景だったし、日本ではまず目にすることのない光景です。

 

日本へ帰って来てから、これらの日常が、ものすごいスピードで「非日常」になっていきました。今となっては、同じ現実の世界の出来事だったとはもはや思えません。夫も「まるで帰還兵のような気分だ」と言っています。戦場へ行ってきて、死と隣り合わせの状況に身を置き、見たくないものもたくさん見て、平和な我が家に帰ってきた…。あまりに世界がかけ離れすぎていて、あれは何だったのだろう…と。これは現実なんだろうか?こっちが夢なのではないだろうか?と。PTSDではないけれど、精神的にけっこう、やられていたようです。

 

「ちょっと…もう、しばらくは日本がいいね」と言っています。でも、長い目で見ると、我が家が子ども達に受けさせたい教育は、アメリカや、海外のような気がしています。アメリカには、もちろん、いいところもたくさんあるのです。

 

でも…。私は、自分ではけっこうアメリカでの生活が気に入っていたと思っていたのですが、それはそう思っていないとやっていられなかっただけなのでは…⁉︎という気がだんだんしてきました。アメリカ楽しい、人間関係もさっぱりしていて楽、みんな子どもに優しい…。それは思い込みだったのでは!?だって、日本人当たり前のように、みんな優しいですよ。言ってることも全部わかります。電車もバスも、けっこう席譲ってもらってます。都会だったら、人間関係もさっぱりしています。

 

そして安全、きれい、みんな仕事きっちり、工事も家具の据付も配送も時間通りに来て完璧にやって壁や床を全く傷つけないし汚さないし、家の中は靴も当然のように脱いでくれるし、プロの仕事!

 

日本最高じゃないですか!!

 

ただ…まだ先のことで不確定ですが、夫は数年後にはまたアメリカかどこか海外で働くことも視野に入れて、日本での仕事を頑張るようです。夫はそういう意味で自由になれるように、これまで頑張ってきたみたいなんです。

 

仕方ないので、私の方も、どうなっても大丈夫なように、子ども達の教育や自分自身の勉強を、楽しんでやっていきたいです。

 

海外生活によって、自分自身も、家族も、大きく変わりました。良い方向に変わったのかどうかは、はっきり言って今はわかりません。我が家は駐在ではなく、自ら希望して現地の本社に就職した、移民です。無邪気に「アメリカ生活楽しかったー!」と簡単には言えないほど、本気で生活してきました…。死ぬほど大変なことも、嫌なことも、たくさんありました…。

 

でも、30代になってからでも、人はたくさん学べるし、変われるし、それは楽しいことなんだ、ということだけは、確かだったようです。