国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

アメリカでコロナ禍出産をしました。(その2)

アメリカでのコロナ禍出産を綴っています。

 

 

nicota-in-us.hatenablog.com

 

1日目 入院そして出産

2日目 入院生活その1 ←イマココ

3日目 入院生活その2

4日目 退院

5日目 久々の自宅

6日目 ER搬送→再入院

7日目 マグネシウム点滴

8日目 退院

9日目 退院指導のため病院泊

10日目 NICU退院



2日目

1日目が長すぎたので、ここからは流していきたいと思います。というより、だいぶ記憶があいまいなんです。

Dさんには産後数時間いてもらって、明け方一度帰宅してもらいました。ここから私が頑張るのは、搾乳です。前回次女の時は、出産直後から直接授乳できましたが、三女は低体重なので、しばらくNICUに入院します。同じ病棟の違う階にあるので、身体を起こせるようになれば面会にも行けるようになります。産んでもいきなり別々に入院なので、あまり出産したぞーという実感はありませんでした。産院から炊飯器みたいな搾乳機を借りることができたので、2、3時間おきに搾乳をすることにします。

麻酔が切れてくると、傷が痛いこと、子宮収縮チェックが痛いこと、痛いけれどまずはトイレに自分で行けるようにすること、傷の癒着防止のためになるべく自分で歩くこと、などはもう慣れたものでした。帝王切開は産後が痛いのです。この痛みは、陣痛に匹敵すると、経験者は思います(次女の時に陣痛も全開まで経験したので)。安産で1日以内で産んだ人よりは、帝王切開の方がよっぽど強い痛みを感じる期間が長いし、肉体を切り開かれるということへの恐怖心も大きいです。(だから帝王切開は楽とか、痛みを感じないと母親にはなれないとか、全然関係ないけど子どもが我慢強くならないとかいう話をきくと、本当に腹が立ちます。うちの長女はものすごく我慢強くてがんばり屋です!)

 

実はこの日、麻酔が切れて初めて身体を起こした時、気を失いました。ナースさんに言われて、身体を起こしてみる練習をしたのですが、今までにないめまいを感じて、「めまいがします…」と言った瞬間、記憶が途切れました。次の瞬間気がついたら、4人のナースさん達に取り囲まれて、身体を寝る体勢に移動させられていました。ベッドに横向きに座った状態から、後ろ向きに倒れたようなのです。その後しばらくしてトイレへ移動はできましたが、NICUへの面会は見送られました(起き上がれたら、赤ちゃんを見に行くことになっていたのです)。そういえば、その説明の時に、ナースさんが「Because you passed away last time...」と言ったのです。私はそれを聞いて「え!?」と思いました。「pass away」は「亡くなる」の意味と思っていたので、「私…死んだの?」と焦ったのです。おそらく「気を失った」ことを言っていたのだとすぐ気づいたのですが、そういう言い方もするのだなと勉強になりました。

流すつもりが思ったよりいろいろ書いてしまいました。この日も午後から数時間、Dさんに来てもらいました。身体が痛くて自由に動かない時に来てもらえてありがたかったです。ナースさんとコミュニケーション取ってもらえるのもありがたいです。本当にお世話になりました。Dさんがいなかったら私の出産どうなっていたかわかりません。

 

この日のちょうど深夜0時1分に、三女の写真が撮ってあるので、夜には面会へ行けたようです。(色々書きたい思いはありますが、割愛!)

 

3日目

通常はこの日に退院なのですが、私は高血圧もあり、腎機能肝機能の状態も観察が必要なので、もう1日入院することになりました。痛いことは痛いのですが、だいぶ自由に身体を動かせるようになってきたので、楽勝です。入院生活は、搾乳、バイタルチェック、食事、たまに血液検査、の繰り返しで過ぎていきます。合間に家に電話をしたり、メッセージや写真のやり取りをしました。

搾乳した後は母乳をNICUに届け(階が違うだけ)、できれば三女を抱っこしてみます。直接授乳も試してみましたが、この日は結局うまくいかなかったです。入院生活はナースさんとのやり取りも気が抜けません。普通のやり取りくらいなら、いちいちオンラインの通訳をお願いすることはないので、もう英語合宿みたいなものでした。

ナースさんは12時間交代です。最後に挨拶をしてくれる人、いつの間にか交代している人、大丈夫かなっていうくらい明るい人、物静かだけど仕事きっちりの人、個性は様々でしたが、基本的に全く嫌な思いをすることはありませんでした。アメリカは、出産の主役は母親なのです。当たり前のようなのですが、日本の病院は全然違って、(というか、日◯がおかしいのかな?)赤ちゃんが主役なのです。だから母親に厳しいんだそうです。でもそんなの間違ってる、とアメリカで出産して思いました。◯赤での入院の経験は、Dさんに話すと驚かれるくらいアメリカとは違っていました。日◯が標準的なのか、スパルタすぎるのかわからないんですが。母親には厳しかったです。

 

4日目

三女は2000g超えるくらいまでは入院が必要とのことで、私だけ退院することになりました。これも、やっぱりな、という感じです。退院前に、州に出す出生届を書き上げるのが一苦労でした。夫に電話して書類の写真を送って確認しながらなんとか仕上げました。

私の血圧は少し高めですが、服薬して安定していました。産後ハイなのか、恐ろしくテンションは高かったです。まだ傷は痛むけれど、気分は良かったです。今思えば、あれはオキシコドン、いわゆるオピオイド系の鎮痛剤のせいだったのかもしれません。アメリカを荒廃させているというオピオイド系鎮痛剤…日本では手に入れることのできない劇薬です。でも、あれがないと帝王切開後48時間で退院とかは絶対無理でした。中毒になってしまう人が多いのもうなずけます。だからこそ怖いので、なるべく飲まないようにして、どうしてもという時だけ飲んでいましたが。余った分は捨てました。中毒になったら人生破滅です。でもそれくらい本当に、痛みがスッと消えて、気持ちが前向きになれました。(だから怖いんですよ、興味本位で飲まないでくださいね、そもそも処方箋が無いと手に入らないけれど…)

話がそれましたが、いよいよ退院、子ども達と夫が車で迎えに来てくれました。産院の中には入れないので、玄関でピックアップです。子ども達は落ち着いていて、ほっとしました。

 

5日目

家には帰れたものの、当然傷が痛くて思うようには動けず、自分一人のことをするので精一杯。子どもの世話はまず無理なので、私が入院中の間のように、夫がいろいろこなしてくれました。とはいえ、子ども達を目の前にすると、久しぶりにあれこれしてあげたい、という気持ちがどうしても沸き起こり、何かと動き回ってしまったようです。

夜、薬を飲む前に血圧を測ると177/98。「え、ちょっと待って、何かの間違いでは(再び)?」二度目を計ってもあまり変わらず。「とりあえず薬飲んで落ち着こう。一晩寝ればよくなるかもしれないし。」この自己判断はあまり褒められたものではありません。すぐに医師へ電話するべきでした。(でもこの時間に今すぐ来いと言われてもとても行けなかった…)

 

次回、まさかの再入院です。一応最終回になると思います。