アメリカでコロナ禍出産をしました。
おかげさまで、三女が生後半年を迎えました。思ったより早く出産体験記が書けそうなので(といっても遅すぎですが)、ハーフバースデイ記念に書き記しておこうと思います。
2020年秋、アメリカでコロナ禍出産をしました。
妊娠高血圧症候群(旧妊娠中毒症、preeclampsia)で早産、帝王切開、赤ちゃん低体重、母体再入院、マグネシウム点滴、赤ちゃんの退院指導、という怒涛の10日間を記録します。
1日目 入院そして出産
2日目 入院生活その1
3日目 入院生活その2
4日目 退院
5日目 久々の自宅
6日目 ER搬送→再入院
7日目 マグネシウム点滴
8日目 退院
9日目 退院指導のため病院泊
10日目 NICU退院
怒涛の1日目 入院そして出産
正規の予定日までにはまだ4週間以上余裕があり、予定帝王切開の日取りも決まった頃、いつものように健診を受けに出かけました。
妊娠高血圧症候群の既往歴があり、血圧の上昇傾向があって服薬していたので、赤ちゃんの成長を見るためにまず超音波健診を受け、その1時間後のアポで医師の健診を受けることになっていました。3週間前の超音波は異常なし。今回も大丈夫なんじゃないかと、軽く考えていました。
超音波は1時間近くかかりました。なごやかに始まったものの、だんだんナースさんの口数が減っていきます。この時もう暗雲が立ち込めていたのです。医師に確認してくると言われ、少し待ち時間がありましたが、終了と言ってもらえて、お昼ごはんの調達へ向かいました。超音波の後、2時間ほど空けてから医師の診察があるので、お昼をテイクアウトしてから診察の予定でした。
お昼ごはんは、一人でゆっくりテイクアウト…なんて贅沢な時間…(こんな時くらいしか一人になれないので)。お気に入りのラーメン屋さんで日本食を買おう…と思っていた矢先、駐車場で電話が鳴りました。お世話になっている日本人医師からでした。超音波の結果からみて、今すぐ産科のトリアージへ行ってほしいというのです。嫌な予感。これは1人目と同じということ?クリニックでの超音波の結果、赤ちゃんが大きくなっていなかったので、再度精密に検査するとのことです。即入院の可能性大。
実は、こんな事もあろうかと、前日に入院準備を終えたばかりでした。車のトランクには入院用の着替えなどが入った荷物も、ベビーカーも、赤ちゃん用カーシートも積んで準備は万端でした。何か虫の知らせがあったのかもしれません。
このままこの車で入院しに行くことはできる。しかしこのままでは、一人で行っても帰りに運転して帰ってくることができないし(帝王切開後は痛くて運転できないのです)、何よりすでに二人の子どもがいるので、一度帰宅して家族と一緒に心の準備を整えてから、産院へ向かおう、と決めました。まだ昼間でよかったです。そうと決まればすぐ夫に連絡。「もしもし、今日入院することになった。」
帰宅すると、子ども達は「ついにこの時がきたか」という感じで、思ったよりも落ち着いていました。というより、事態が飲み込めていなかったのかもしれません。ただ、「お母さん行かないで〜!」のようなパニックにはならず、「赤ちゃんと一緒に早く帰ってきてね!」という感じでした。夫も腹をくくっていました。一人目の時の経験があるから、出産するまで病院から出られない、という状況なんだとわかっているのです。コロナのために、出産立ち会いは大人一人に制限されています。我が家は他に家族もいないので、私が出産して退院するまでは夫が家で子ども達と留守番をする、と決めていました。
ちなみに、出産時と産後の一日だけ、プロの出産介助をする日本人ドゥーラ(Dさん)に立ち会いをお願いしていました。さすがに外国で一人で帝王切開は不安すぎるので。コロナ以前に直接お会いしてお話したこともあり、オンラインでも何度か打ち合わせして安心してお任せできる感触を得ていました。のちのち、お願いしておいて本当〜によかったなと思うことになります。
産院に着いたのは午後3時頃。家族全員で産院車寄せまで行き、「元気な赤ちゃんを連れて帰るからね」と子どもと夫とさよならをしました。この時、実はまだ、結果次第では一度家に帰れるかもしれない、という淡い期待を少し胸に抱いていました。出産予定日まではまだ3週間あるのです。このコロナの中、お見舞いもできない中で、3週間入院になったら辛いです。アメリカはなるべく入院させないで自宅療養させる方針な気もしました。
さて、産科トリアージ (OB Triage) でノンストレステスト (NST) と超音波 (ultra sound) を受け、結果を待ちます。やはり即入院。点滴(IV)の管を通されました。数時間ほどで病室へ移されました。午後6時過ぎだったと思います。当直医師の説明では、血圧は安定しているものの、赤ちゃんの発育状況からみて近日中に取り出した方が良いとのこと。この時点ではまだ入院して数日様子を見るという感じでした。まだ予定日3週間前なので、赤ちゃんは少しでもお腹の中にいた方が良いのです。
午後8時過ぎ。忘れもしない、あれは2回目の大統領候補討論の日でした。ようやく夕食を注文して、部屋に届いたばかりの時です。トランプ思ったよりおとなしいじゃないか…CNNを観ながらハンバーガーにかぶりついた時、ナースさんがやって来ました。彼女の言うことには、近日中に帝王切開になるから、早産でも赤ちゃんが肺でうまく息ができるようにするために、臀部(おしり)に注射をすると。一日一本、片方ずつの臀部に注射するらしいのです。そんな注射は日本でしたことがなく、最新の治療?なのかもしれません。この注射、針がめちゃくちゃ長くて、すっごく痛かったのです。この時はまだ、今日1本打って、明日2本目を打って、帝王切開の日程を決める、という感じでした。
注射の瞬間、「え、めっちゃ痛い!」息が止まるかと思った!と動揺している中、バイタルも測るよと言われて、いつもの血圧、脈拍、体温、と続くはずだったのですが…。血圧が180を超えていると言われました。ナースさんも明らかに動揺していました。何かの間違いかと測り直しますが、あまり変わらず…。5分後にもう一度測るからねと一人にされると、この後の展開がぐるぐる頭を回りました。180?そんなバカな?血圧の薬そろそろ飲む時間だけど、まだ飲んでないからでは?ていうかさっきの注射打った所めっちゃくちゃ痛いからそのせい…?
もう一度ナースさんが来て計ってくれましたが、あまり変わらなかったようです。一応、薬を飲む時間だけれど今日はまだ飲んでいないこと、注射が痛かったことは伝えました。それにしても上がりすぎていたようです。しばらくして医師がやって来て、こう告げました。
「今夜帝王切開します。」
「え、い、今からですか?」
「午後11時オペ開始を目標にしています。」
こ…今夜生まれる!!2、3口かじっただけのハンバーガーが、悲しそうにこちらを見ていました。帝王切開が決まったら、もう食事はできないのです。
何はなくとも、出産介助ドゥーラのDさんに即電話。一応、入院することになったことを、昼頃伝えてありました。Dさんは、2時間ほどで到着するとのこと。電話したのが8時半過ぎだったので、ギリギリ間に合いそうでした。
手術の準備で、書類にサインしたり、リスクの話を聞いたり(もう3回目なのでいちいちビビりません)、そうこうしているうちにDさんが到着。Dさんは通訳もほとんど兼ねてくれて、朗らかな雰囲気の方なので、ものすごく安心しました。そこへ更に、担当してもらっている日本人の婦人科医さん(もちろん女性)も駆けつけてくれました。急遽、今日のオペの補助に入ってくださるとのことです。ありがたい!Dさんと先生も顔なじみで、チームワークはばっちりです。手術室に日本人女性が自分含めて3人。うち二人は出産のプロ。ものすごい安心感です。ていうかここは日本?な環境で、一気にリラックスできました。(日本で帝王切開した時は初めてだったのでここまでリラックスはできなかったですけれど…)
手術室へ移動し、いざ手術開始となる直前、寒さのせいか、緊張のせいか、急に震えてきました。全身がガクガク震えて、止まりません。確か次女の時も、そうなりました。Dさんが手を握ってくれます。「頑張って元気な赤ちゃん産みましょうね!」ああ、本当にいてもらってよかった!
背中から麻酔を打ちましたが(これも毎回痛いし怖い)、なかなか思うように効いていないようでした。「これ痛い?」といってチクチク何かをされているのが、痛いのです。「…痛いです。」
「おかしいなあ〜」みたいな感じで若いインド系の麻酔科医はチクチクしてきます(痛いものは痛いんだからしょうがない)。不安感が高まります。麻酔が行き渡るように?手術台を傾けてしばらく待ちます。ようやく、効いてきたみたいです。日本人医師に「もう一度テストしますよ〜これ何かつままれてる感じする?」と言われ、「何か、つままれて引っ張られてるような感じがします」と言うと、「麻酔きいてなかったらね、ギャ〜って感じと思うよ〜アハハハ!オッケーじゃ始めますね〜!」といってついに出産が始まりました。この時、一体何をされていたのだろう、と今でも気になります。。。
帝王切開って、本当にまな板の上の鯉状態での出産なのですが、じゃあ何も感じず、気づけば出産なのかというと全然違います。思った以上に苦しいです。麻酔が効いていても、押されたり引っ張られる感覚は感じます。ただ、「痛くない」だけなんです。陣痛を繰り返す苦しさとはまた違うのですが、オペの間、胸から下全体を絶え間なく引っ張られ、押され、でも何が起きているのかは自分では見えなくて、その恐怖心とも戦わなければならないし、物理的に本当に息をするのが苦しいのです。例えていうなら、下半身に重い荷物を置かれて、かなり激しくぐりぐり動かされている感じ。満杯のスーツケース一個分くらいの重さを感じます。今回の出産では、意識がはっきりしていた分、前回よりも更に苦しさを感じました。(前回は二日間の陣痛との戦いの後、意識が朦朧としていました)
オペ開始から10分か15分ほどだったかと思います。赤ちゃんが、取り出されました。
「オギャー!!オギャー!!」
すぐに元気な産声が、耳に飛び込んできました。
あ、よかった!泣いてる!よかった!!次女の時は仮死状態で出てきたので産声を聞けなかったのです。そういえば長女も泣いてなかった気がします。人生初の産声を聞きました。三女は元気に泣いていました。身体は一番小さいけれど、一番元気に生まれてきたのです。
Dさんと顔を見合わせて笑いました。自分の出産は、意外と泣く気になりません。ひとの出産の方が泣けます。Dさんは、早速写真を撮りに行ってくれました。もう慣れてるし、ツボを心得てらっしゃって、本当に助かりました。
出産から10分後には、きれいになっておくるみに包まれた三女を抱っこすることができました(寝ながらですが)。ちょうど日付が変わる頃です。
ここで、怒涛の1日目が終了します。長い長い1日でした。次回からはもう少しコンパクトに書いていこうと反省しています。