国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

アメリカでコロナ禍出産をしました。(その3 最終回)

アメリカでのコロナ禍出産の顛末を綴っています。

 

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1日目 入院そして出産

2日目 入院生活その1

3日目 入院生活その2

4日目 退院

5日目 久々の自宅

6日目 ER搬送→再入院  ←イマココ

7日目 マグネシウム点滴

8日目 退院

9日目 退院指導のため病院泊

10日目 NICU退院

 

6日目

朝血圧を測るも、165/90 のような数値でした。昨晩よりはだいぶましになったものの、160以上出たら電話するよう言われていました。「これは電話だな。つながるまで時間かかるし、本当、英語の電話イヤだな…。」そう思いながらも仕方なくかけます。何とかお世話になっている医師のオフィスまでたどり着き(自動音声でたらい回しにされるアメリカあるある)、ナースに状況を伝えました。しばらくすると、医師の判断を伝える電話がかかってきました。今回は医師から直接ではありませんでした。ナースによると、今すぐ産科のあった病院のERへ行くように、とのことです。「ERって、あの?緊急救命室(ドラマ)?」

ERとはEmergency Roomの略です。もちろん今まで足を踏み入れたことはありません。そしてこのコロナ禍。どうなっているんだろう…大丈夫だろうか…。それでも仕方ないので行くしかありません。荷解きしたばかりのバッグにまた入院グッズを入れ、再び病院の入り口まで家族全員で車に乗って向かいました。ERってどこにあるんだろう?「Emergency」の看板辿っていけばいいんじゃない?という話をしながら、何とか到着しました。救急車用に「Emergency」の表示は色々なところに分かりやすく書いてありました。救急車ではなく、自家用車で到着。「今度こそ赤ちゃん連れて帰ってきてね〜」夫と子ども達とお別れです。ガラスの自動扉を入ると、専用の受付があり、前の人達が受付中でした。この人達も自家用車で来たっぽいです。「よかった、救急車使わなくても普通に来ていいんだ…?」受付で熱を計ったり、生年月日と名前と症状を伝えるなどしてから、またしばらく待ちました。それから中に通されて、いよいよERです。

コロナ禍中のER…どんな殺伐とした風景が待っているだろうと思ったのですが、意外と静かで落ち着いていました。Covid-19の疑いのある患者は別の場所で対応していたのかもしれません。受付で、Covid-19のスクリーニングをしました、そういえば。中はカーテンだけで仕切られたベッドが8つほどあったと思います。はい、ここに横になってね、今日はどうして来たの、ということをおばあちゃんナースに聞かれて、うまく伝えられなかったような気がします。とりあえず血圧を15分おきに(自動で)計って様子をみます。到着した時は最大が130台で、本当何で来たの?という雰囲気でしたが、1時間ほどしてからおそらくERの医師がやって来て、オンライン通訳を介して診察してもらいました。どんな話をしたか忘れちゃったのですが、しばらく観察して様子を見よう、という感じだったと思います。

15分おきに自動で血圧を計られながら、じっと横になっていました。実は横になっているだけでお腹の傷が痛いのです。トイレも男女共用で、行くだけで一苦労でした。途中、必殺仕事人のような目をした、おそらくロシア系なんじゃないかというナース(女性だけど元軍人のような雰囲気でした、多分カーキ色のつなぎを着ていたせいだと思います)にまたIV(点滴用の管)を挿れられたり(痛かったけど1回で成功していました。下手な人には2回3回と穴を開けられることもあります)、時々医師が巡回にやって来たりしながら、そこで数時間過ごしました。

 

血圧は下がるどころかじわじわ上がって、最大150台になっていました。やはり今日から入院ということになりました。後から考えたら、この産後の傷が多少癒えるまで、入院できてよかったです。日本だったら帝王切開後は6〜7日間は入院しますからね。

入院先は産後病棟でした。ナースさん達の雰囲気は、産前とは少し変わります。私は帝王切開後も、産前病棟にいたようでした。多分、まだ容態が急変する可能性があったからだと思います。産後はベテランナースが増えた印象です。それは日本でも同じことを感じました。新しい病室は、まだ受け入れ体勢が整っておらず、担当者も決まっていないような感じで、しばらく独りで横になっていました。「また戻ってきてしまった…」と思いながらも、子ども達から離れて身体を休ませられることに少し感謝しました。その時、ナースさんがやって来ました。あれ、この人見たことあるなと思った瞬間、「やっぱりあなた、覚えてるよ!まだいたの?」と大声で話しかけられました。この人は、確か前回入院してから二人目の、手術直前のナースさんだったと思います。めちゃくちゃ明るい人だ…。一度退院したけど血圧が高くて戻ってきたこと、赤ちゃんはNICUに入院していることを伝えました。そのナースさんは「名前見て、この人知ってるわ!と思ったのよ〜また会えてよかったわ!」と言って、じゃあねと別のナースさんと入れ違いで出ていってしまいました。彼女は担当じゃないけれど、知っているからあいさつだけしに来てくれたらしいです。まあ5日前に担当した人がまだいるなんてこと、アメリカではなかなか起こらないのでしょう。基本は24時間で退院なので。どうしてまだいるのか、気になったのもあるかもしれません。担当じゃないと患者の情報はわからないのでしょうね。

 

この日はとりあえず血圧を測り続けて様子を見、採血をして血液検査の結果を待つことになりました。

搾乳機(ポンプ)を借りて、家から持参した容器を出し、3時間おきの搾乳は頑張りました。時間があれば、届けに行きました。久々に見たような気がする三女の姿。ああ、小さいな…。もうこの頃には、保育器から出てコットに寝ていました。保育器に入っていた時は、扉の付いた穴から手を入れて触れることしかできなかったのですが、今度は直接抱っこもできました。基本的に静かに寝ているのですが、時々目を開けてくれると、その目がキラキラと美しくてとても神秘的でした。新生児って、本当尊い。またしばらく一緒に入院だね、と、実は独りではない嬉しさを感じました。家族がもう一人、この病院にいるんだ…!

当直医師と話をしたのは夕方も過ぎていたと思います。オンライン通訳さんを介して状況を説明すると、医師の見解としては、自宅へ帰ってからも安静にしていないといけないのに、忙しく動き回りすぎたのではないかとのことでした。血液検査の結果、肝機能が少し悪くなっているということでした。今晩からマグネシウム点滴を行うそうです。この時は、まだこの点滴がどんなものなのだか、わかっていませんでした…。

そうして長い6日目が終わりました。

 

7日目 マグネシウム点滴

後でわかったことなのですが、このマグネシウム点滴は妊娠高血圧症のための子癇発作を防ぐために行うもので、血圧を下げるものではないらしいです。でもこの点滴が効いている間は血圧も低く(110/60台くらい)保たれていました。

点滴開始は確か日付の変わった頃でした。ナースの説明では、この点滴をするととても力が弱くなったような感じがするので(力が入らないということかと思います)、お手洗いに行くのも毎回ナースコールをするように、とのことでした。これから24時間点滴を継続します。24時間…ということは、明日もまだ帰れないのか…。でも、三女と同じ建物内に入院しているから、たくさん会いに行けるだろうからがんばろう、とその時は思いました。まさか、あんなに大変な点滴だとは、この時はまだ知りませんでした。

点滴開始から2、3時間は、少し身体が火照ったように感じたものの、お手洗いへ行くのもそれほど苦にならない程度でした。しかし、朝になる頃には身体がものすごく重く感じられるようになり、視界もぼやけて細かい文字は読めず、携帯電話も重くて持てず、本も読めませんでした。部屋のお手洗いに行くだけでも足がガクガクで、ゆっくりゆっくり歩かなければなりません。当然NICUへの面会など行けませんでした。搾乳はなんとか続けていたと思います。出産後、一番辛かったのがこの1日、この点滴でした。

後で調べてみたのですが、このマグネシウム点滴、「マグセント」と言うらしく、聞いたことあるなと思ったら、切迫早産の妊婦さん達が張り止めとして点滴していたのがこの「マグセント」でした。私は一人目出産の時、やはり妊娠高血圧症候群になり日本で2週間管理入院しましたが、この時同室だった3人の妊婦さん達は皆さん切迫でした。このママさん達は皆さん二人目の出産で、上の子がいる中で何ヶ月も(!)入院しているママさんばかりでした。でも皆さん本当に明るくてタフで賢くて、出産に関する質問からどうでもいい雑談までいろいろとおしゃべりして下さって、どれだけ救われたかわかりません。今でも頻繁ではありませんが、連絡を取り続けています。そのママさん達、ずっと点滴につながれていて、シャワーも3日に一回とかで大変そうだったのですが、その点滴が、こんなに辛い点滴だったなんて!!「私だけ病院食にマヨネーズ付いてない」(減塩の食事をするため)、とか、「自分だけおやつ食べちゃダメなのに目の前で間食されるの辛い」などと密かに思っていた自分を平手打ちしたいです。

もうこれは、生きる屍…。寝るしかない…。ぐったりしてやり過ごしていたところ、突然その点滴は終わります。ちょうどお昼頃でした。「血圧も安定しているので、点滴を終了します。」え、まだ12時間くらいあるけど…。「様子を見て、明日退院できますよ。」とりあえずやったー!点滴が終了して、しばらくしてから身体を動かせるようになると、ようやくNICUへ面会に行けるようになりました。

 

8日目 退院

「入院しているうちになるべく会いにいきたい」と思い、三女のところへ行ける限り行きました。NICUも24時間態勢なので、深夜に行っても面会でき、ナースさん達は昼間のように働いています。直接授乳を何回か試してみて、何とかできるようになりました!弱々しくですが、ちゃんと吸っているようでした。昼過ぎに2回目の退院指導を聞き、最後に三女に面会してから、帰宅しました。

帰宅後、傷の痛みはだいぶ良くなっていたものの、なるべく動かないで、子どもも自分でできることはする、というふうにして過ごしました。「すごい…子どもにほとんど呼ばれない…。」入院中、こうやって3人で過ごしていたんだろうな、という様子が垣間見えた気がしました。私が何もしなくても、ことが進んでいっている…。「お母さんに無理させたら、また病院に帰っちゃうよ」という父親の厳しい指導の成果が(笑)出ていました。

 

9日目 NICU退院のための指導

帰宅してから1日明け、自宅での平穏な時間に感謝していたのも束の間、またNICUからの電話が鳴りました。実際は、Google Fi の留守番電話文字起こしサービスで内容を確認したわけですが(ものすごく便利です)、三女が退院できそうなので、退院のためのトレーニングをするので今からNICUへ来るように、ということでした。え、もう!?電話を掛け直し、詳細を確認して、またまた、また!入院の準備!!これはさすがに想定の範囲外。子ども達はもう絶句していました。でも、ようやく、三女が家に帰って来られる!微妙なテンションのまま、午後4時頃早めの夕飯をテイクアウトで済ませ、三たび産院へ向かいました。

今度は患者ではなくて、患者の保護者です。三女を乗せて帰るためのカーシートとストローラーも持参です。このカーシートは長女が生まれた時に買ったもので、次女の退院の時も使用し、その時の病院のチェックが通ったので大丈夫だろうと思っていたのが浅はかでした…。アメリカでは一般的なのかと思いますが、新生児が退院して車で帰宅する際、病院でカーシートのチェックがあります。これに通らないと、赤ちゃんは帰宅できません。けっこう厳密に検査されます。メーカーや型番や、製造年。それを、すっかり忘れていました…。カーシートには使用期限があるということを…。

 

NICU(今更ですが、「二キュー」と英語では呼んでいました)へ到着すると、身元を確認され、入ったこともない部屋に通されました。部屋の電気を点けると、なんと三女がコットの中に寝ていました。いきなりでびっくりしたのを覚えています。「ここで一晩、新生児をお世話しながら退院後の練習をします。」初めての母子同室!担当のナースさんにごあいさつ。その後何と生身の通訳さんが来て下さるということで、通訳さんが到着し次第退院指導を始めることになりました。

 

おむつ替えは変わったことはありませんが、オムツはサイズがN(new born)ではなくてP(premature)でした。そんなサイズがあることを知らず、用意してあったNでは大きすぎるので帰宅してから慌てて買いました。

さて、問題は調乳です。調乳が、思いの外面倒でした。三女はようやく1900gになった程の低体重なので、自宅では基本的に未熟児用のミルクを飲ませますが、調乳方法も書いてある通りではなくて、少し濃いめに作るのです。具体的には、1oz(1オンス=約30ml)あたり、24kcalになるように調乳します(通常22kcal)。すると、とてもキリの悪い数字で調乳することになり、なかなか面倒でした。母乳を飲ませてもいいのですが、その際は搾乳した母乳50mlあたり小さじ1杯の粉ミルクを調合します。…面倒すぎる。直接授乳がokになったのは、1ヶ月後でした。

でも、調乳の仕方を教えてもらえてよかったです。日本では母乳前提で、スパルタ母乳指導しかなかったし、前回の次女の時も母乳が出てすんなり2日目に退院したので、粉ミルク(formula)のやり方を丁寧に聞く機会がなかったのです。まず驚いたのが、粉ミルクは常温の浄水もしくは水道水でOKということです。沸騰したお湯で溶かして流水で冷まさなくていいんだ!そして、病室に備え付けてあったミルクウォーマーで温めるのですが、泣いててすぐ欲しがっていれば、少し温めるだけでOK、と言われました。すっごい適当!それでいいんだ!哺乳瓶の煮沸も24時間に1回でOK。

あと、お風呂は週に1、2回でOK。毎日入れなくて良い。むしろ入れないこと。後で小児科の医師にも確認したのですが、もっと大きくなって夏に汗をかくようになったら毎日入れてもいいと言われました。小さいうちは体力消耗しちゃうのでしょうね。

あとは1日一回 tummy timeといって、腹ばいで過ごす時間を作ることとか、ベッドには枕やクッション、ぬいぐるみやおもちゃはもちろん、ブランケットの一枚も入れてはいけないとか、服装の指導などを聞きました。

 

これから翌朝まで、赤ちゃんが泣いたら授乳、泣かなくても4時間以上は空けることのないように授乳し、飲んだ量を記録していく、ということを続けます。飲んだ後はげっぷをさせたり、吐いたら着替えなど意外と忙しかったです。折しもこの日は、デイライトセービングの切り替えの日。夏時間の終わりでした。確か深夜の2時が、2回あるんです。これから夏時間が終わるたびに、思い出すだろうな。

 

時間は前後しますが、実は夜にひと悶着ありました。カーシート(チャイルドシート)です。NICU到着時に、持参したカーシートのチェックを受け、大丈夫だろうと言われたのですが、なんと夜9時を回ってから、これではチェックは通らない、と言われてしまいました。要するに、期限切れだったのです。それと、実は、次女が3ヶ月の時に衝突事故に遭っていました。後部座席は全く損傷なく、もちろん私も怪我はなかったのですが、右直事故のようなものに遭ってしまったのです(相手が全面的に悪いはずなのに折半になってしまった)。事故にあったら、カーシートは交換しないといけないようなのです。カーシートは全くの無傷だったので、そのことを考えていませんでした。

え、このままでは退院できない!?夫は急遽、カーシートをリサーチ、購入してくれました。本当に、仕事終わって(在宅勤務)、子ども寝かしつけてから疲れているだろうに、夜中に頑張ってくれました。実際は、オンラインで注文して、翌朝店頭でピックアップし、病院内には入れないので私が玄関まで受け取りに行く、ということになりました。もちろん二人の子ども達も車に乗せて来ないといけません(アメリカでは12歳以下の子どもだけのお留守番は虐待になります)。そして、一度また家に帰って、カーシートチャレンジに合格してからまた迎えに来てもらう…という大変面倒なことになりました。

 

カーシートチャレンジ(確かそんな呼び方だったかと思います)とは、使用予定のカーシートに赤ちゃんを正しい乗せ方で乗せ、90分間耐えられるか、というテストでした。ほとんどの赤ちゃんはパスする、とのことでしたが、泣き止まなかったりすると中断し、また90分テストします。とにかく時間が必要なテストなのです。授乳時間を待ち、授乳が終わってから始めました。結果…よく寝てくれて、無事90分で合格!!これで、ようやく、退院です!

終了30分前には家族に連絡してお迎えの準備をしてもらっていました。夫と子ども達に迎えに来てもらって、自宅へようやく、家族5人で帰れました。自宅に用意してあったコットへ三女を寝かせると、子ども達は自分のおもちゃを次々と持ってきては三女に見せていて、泣けました。一番反応の気になった次女ですが、何と自分用のタブレットまで持ってきて三女に見せています。あなた、お姉ちゃんになったのね…涙。

 

こうして三女が我が家にやってきました。

 

ミルクは沸騰したお湯でなくてもOK、哺乳瓶の消毒は1日1回でOK、沐浴は1週間に1回でOK。この、産院お墨付きの新スタンダードにより、我が家の三人目育児は思いの外大丈夫でした。コロナの為に、食事の調達の選択肢が増え、楽になっていたのも、とても助かりました。コロナは憎いですが、子連れの買い物も、カーブサイドピックアップのおかげで格段に楽になりました(注文、決済した品物を車に積んでくれるのです)。思えば出産自体も、家族が誰も来られないというのが、かえって楽だったともいえます。産院も人が少なく、静かで落ち着いていました。カメラマンとかやって来ないし。これで、よかったんじゃないだろうか…。誰にとってもその答えが出るわけでは当然ないのですが、今思い返してみても、コロナ禍出産は悪いことばかりではありませんでした。とはいえ、グローバル時代のパンデミックは、第3波、第4波…と、留まる気配はありません。三女はまだ日本の家族に会う目処が立っていません。(帰ってもいいんでしょうか…帰ってる人たくさんいますけどね)早くコロナが終息…とまではいかなくても、せめてインフルエンザくらいの存在感になってくれることを祈ります。

 

全然流して書けませんでした…。長文になってしまい、申し訳ありません!