国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

2016年の反省と2017年の抱負

日本は新年を迎えましたね。アメリカ西海岸は、今大晦日の午後です。娘が昼寝に入って少し時間ができたので、今年の振り返りと新年に向けての意気込みを手短に書いておこうと思います。

思えば去年の今頃は、まさか自分が退職して海外で専業主婦をしているとは夢にも思っていませんでした。それはもう、働く母親として、教員として、日本社会の役に立てるように、インプット・アウトプットに励もうと意気込んでいたのです。それが今、異国の地で、全く何者でもない自分として存在している、というこの現実。実はまだ、なかなか受け入れられないでいます。そんな自分を見つめ直し、新たな年と共に新たな自分をスタートさせるために、書き残しておきたいと思います。

 

2016年の反省

3月に教職を退職してから、渡米するまでの間、もっと英語を勉強しておけばよかったと思います。

6月の渡米後、間も無く妊娠がわかり、それからつわりのために夏の間はほとんど死んだも同然の毎日でした。娘の最低限の世話をするだけで精一杯。いろいろな事に前向きになってきたのは、11月に入ってからでした。

良かった点

  • 念願の第二子を授かったこと
  • 在住州の運転免許取得と、人生初のマイカー購入により、ペーパードライバーを脱出しつつあること

悪かった点

  • 日本語、英語共にインプット・アウトプットが少なすぎたこと
  • 娘のことがほとんど何もできなかったこと
  • 新しい知り合いが日本人ばかりで、しかも少ないこと

 

2017年の抱負

娘の2歳の健康診断、歯科検診など、基本的な健康に関することすらまだできていなかったので、ここを早速取り組んでいきます。また、幼稚園(Pre-school)や習い事なども始めていきたいです。新年から、病院の予約や見学の予定をすでに入れてあります。渡米してから、今までにない、予定表の充実具合。

娘が幼稚園に行く時間ができれば、私のインプット・アウトプットの時間も増やすことができると思います。娘の行動範囲を広げることで、横のつながりもでき、知り合いも増やせるでしょう。これまでになく、積極的にガツガツしていくつもりです!

順調にいけば、春先にはアメリカでの出産も経験できるので、そのレポートもするように頑張ります。

ブログに関しては、もっと体系的に、人様のお役に立てるような内容を目指していきたいです。自分の中では、10年も続けた高校・国語の教員という職業にアイデンティティを感じているので、そこをもっと活かした内容にできたら、と思っています。とはいえ、つぶやき程度のものしか書けないかもしれませんが…。

あと、実はもう一つ、グルメブログも書きたい、という欲求があります。実はこのブログはできるだけローカルな話題を控えています(夫が身バレしたくないそうなので)。でも、せっかくなので現地に住む日本人に向けた何かを書きたいなあと思っています。どうなるかわかりませんが、少しでも前進していけたらと思います。

2017年、少しでも良い年にできますように!読んでくださっている皆様にとっても、良い一年になりますように!

新年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

※未だにこのブログよりも訪問者が多い、過去のブログはこちらです(なぜでしょう?謎。)↓

  

アメリカでのクリスマス

娘にとっては2度目のクリスマス。渡米してからは初の、アメリカで迎えるクリスマスとなりました。

 

以前書いたのですが、我が家はあまりイベント事に動かないのですが、アメリカへ来て更にそれが強まり、何かキラキラした所へ出かけたり人が集まる所に行ったり…ということは全くといっていいほどしませんでした。

 

ベルリンのクリスマスマーケットテロとか、ほんと他人事ではないです…。

 

自分自身はお祭り事が好きなのと、せっかく都市部に引っ越したので、近くのホテルでやっているジンジャーブレッドビレッジ(お菓子の家?)を見に行きました。平日午前中の早い時間に行ったつもりなのに、子供連れの家族が大集合していて、30分くらい列に並びました。近所だからとベビーカー無しで行ったのは大間違いでした。娘は見終わるまではなんとか頑張りましたが、帰りは坂道抱っこになってしまいました…。思った以上の大作ばかりで、電動で動く仕掛けになっていたり、見応えがありました。娘もそれ以来、そのホテルの前を通ると「お菓子のお家見たい!」と言います。年明けまでやっているので、人が少なそうな時にまた見に行けるといいなと思います。無料でした。

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23日は、夫が早めに帰宅してくれて、そこから26日までほとんど家に籠っていました。24日はお店が閉まるのも早く、25日に至ってはどこも休業、という状態なので、妥当な過ごし方だったと思います。でも、家ではクリスマス気分を盛り上げたい!という私のたっての願いから、24日は午前中だけCostcoへ出かけて丸鶏のロースト等を買ってきました。車で20分弱くらいのところにあるので、おそらく日本にいたら一生行かなかったであろうCostco(行くのに時間がかかる郊外にある上、混んでいるらしいから)ですが、渡米してからはよく利用するようになりました。

午後は、娘と一緒にクリスマスケーキを作りました。ケーキといっても、ふやかしたビスケットとクリームとフルーツを重ねるだけのものですが。久々にカスタードクリームを作りました。クックパッド様にはいつもお世話になっています(有料会員)。娘は実は初めてのお料理お手伝い。楽しかったみたいです。夫にも、おやつのついでに少し手伝ってもらいました。

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プレゼントは、ツリー(日本にいた時から使っている100均のもの)の下にたくさん置いてある、という画に憧れて複数用意してみました。おじいちゃんおばあちゃんから、父親から、母親から、あと夫へもサプライズで(押入れにあったので気づいていたけど)。来年こそはもう少し大きなツリーを用意したいです。できれば、自分たちで切ってきたいなと思っています(クリスマスツリーファームがあるらしい)。

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※プレゼントを置く前ですが、どこにあるのか分かりづらい我が家のツリー

 

娘へのプレゼントは、父親からロボット、母親からブーツと手袋、祖父母からメルちゃん離乳食セットと歯磨きセットでした。

ロボットについては、後日詳細を書きたいと思います。

2歳と3ヶ月になって

娘の2歳2、3ヶ月の成長の記録です。

 

カメラにポーズ

日本でいとこのお姉ちゃん達に会ってからなような気がしているのですが、娘はカメラを向けるとポーズをとるようになりました。カメラを向けていなくてもポーズをしている時もあります。体を斜めに傾けてカメラ目線したり、両手の人差し指で両頬を指したり、両手を広げて片足を上げる歌舞伎の見栄のような謎のポーズをすることもあります。 

テレビの影響大

日本のテレビ番組(Eテレ)を見始めたのは、アメリカに来てからなのですが、もう半年も経ちました。感じるのは、その影響の大きさです。テレビで子どもたちがやっていることの真似をしたがります。

ある日突然やるようになりました。忘れられない第1話?は「むかしむかし、あるところに、鬼がいまちた。おばけとなかよくちまちた。おちまい!」

「ロボットになった」と真似をしたり、今やっている雪で遊ぶパントがお気に入りです。

あいうえお

一時帰国した際に、日本へいくつか絵本などを注文しておいたのですが、この絵本は本当に買ってよかったです!

『あいうえおのえほん』

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文字を教えるのはもう少し先でもいいかなあ(本人はまだあまり興味がないようだし)と思っていたのですが、在米日本人の子どもの日本語状況について読み聞きしているうちにだんだん不安になってきてしまったのです。少し早いかもしれないけれど、 ABCより先にひらがなだけでも読めるようになってもらいたいという一心で購入しました。(だいたいが、日本語は面倒なので読み書きしなくなるという話。)

本の大きさと分厚さに「やっぱりまだ早いかな?」と思ったのですが、いもとようこさんの素晴らしい絵と、リズムの良い短文と、フォントの美しい1ページ分の大きなひらがなが、娘の文字(ひらがな)への興味を開いたようでした。

読み始めてから1ヶ月くらい経った今、「あ」のページから、「に」くらいまで、一人で読んでくれています。多分、ほとんどが覚えて言っている(読めているわけではない)と思うのですが、これがものすごくかわいいです。夜なかなか寝ないで困る時も、これを娘が読み出すと私も夫も思わずニコニコしてしまいます。同じ絵と文章の、かるたもあります。娘は、まだ大きい絵本の方が好きなようなので、かるたは寝かせてあります。

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ちなみに、あいうえおグッズは他にも日本で買っておいたものがあったのですが、使ってみて思ったのは「フォント」って大事だな、ということです。特に「り」をよく見てみると、ゴシックは上が繋がっているものが多い気がします。でも、書くときは離して書きますよね。初めて文字を学ぶにあたっては、やっぱり美しい書き文字のお手本になる形を見て学んだ方が良いのかな?と思います。自然とわかるようになるのかもしれませんが。この絵本とかるたの「り」は、こんな感じです。

絵本のひらがな部分↓

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かるたの絵札↓

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100円均一で買った、お風呂に貼るシリーズの五十音表↓

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トイザらスで買った、あいうえお積み木↓

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※どれも娘は好きでよくひっぱり出して遊んでいましたが、これまでは文字より絵が好きなようでした。

会話になっている

最近「〜かもよ?」と言うことが増えて(おそらく母親の口癖)、それがけっこう当たっているので面白いです。

私「お母さんの電話どこにあるか知らない?」

娘「カバンの中かもよ?」

いつのことでも「今日」

昨日のことや、1週間前のことや、もっと前のことでも、娘は思い出したら「今日、〜したよね!」とお話ししてくれます。「そうだね。でも今日じゃないよ。2週間前くらいかな」と言っても、まだ時系列がわかっていないので、きょとんとしています。来年になったら、カレンダーを見て月日を確認しながらお話ししようかなと考えています。

あいかわらず人見知り

笑顔で話しかけられても、真顔で逃げたり隠れたりします。まだ、知らない人に挨拶したりはできません。ましてや英語は。日本人ですでに知っている人でも、また喋れるようになるまでに毎回1時間くらいかかります。

積み木やレゴデュプロで作るもの

これを作りたい、こういうのを作りたい、というのが具体的になってきたような気がします。レゴデュプロは、丁度去年のクリスマスプレゼントに緑のコンテナをあげたので、その頃は親がくっつけたものをひたすら外すしかできなかったことを考えると、一年間でよくここまでできるようになったなあ…と感慨に浸らずにはいられません。積み木も、「6つも積めた!」とか喜んでいたのが遠い昔のことのようです。今は、積み木で家を作るのに夢中です。

レゴの最近の作品?

「ケーキ」シリーズ(「ケーキだよ」と言って持ってきてくれる)↓

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クリスマスに欲しいもの

クリスマスにはサンタさんがプレゼント持ってきてくれるよ、何がほしい?ときいてみたところ、「ロボット」という答えが返ってきました。何かの間違いではと何度か間をあけてきいてみたのですが、何度きいてもサンタさんから欲しいのは「ロボット」だということです。もらえるといいね!

 

 

右側通行の車生活その2

あまり期待されていない車の運転状況報告第二弾です。

 

現地の運転免許取得から車購入までの辛い日々を経て、ようやく運転をし始めたのが、11月に入ってからです。

10月初頭の納車からしばらくは、まだつわりが少しではあるものの続いていたので、鬼教官を乗せて本当に近所のスーパーへ行ってみたりした以外はほとんど乗っていませんでした。幸い、日本人のお友達が二人もできたので(お子さんが娘と同い年)、隣の市Bまで遊びに行くようになったのですが、それもバスを使っていました。

日本でうっかり右側車線へ

そうこうしているうちに日本へ一時帰国する時期になり、10月後半は日本で過ごしました。実はその間、夫の実家で少しだけ(多分数百メートルくらい)運転する機会がありました。近くのおいしいパン屋さんへ、娘とお義母様と買い物に行こうとなった時に、突然雨が降り出したのです。お義母さんも運転が苦手で、何と今の家にある車は運転したことがないとのこと。私は、出国前数週間その車を借りていたことがあり、一人で運転したこともあったので、雨の中歩いていくよりはと運転を買って出たのでした。交通量が少ない田舎道だったのも大きいです。行きは良かったのですが、少し気が緩んだ帰り道、あろうことか交差点で左折するときにうっかり右車線に入っていってしまいました!遠くからですが対向車が来ていたので本当に焦りました。田舎道で命拾いしました…。

なんだかんだいって、もう右側通行で運転している距離の方が長くなってきたのかな、と思った瞬間でした。(日本でもたいしてしていなかったので)

最寄りの図書館へ

日本へ帰る直前から、つわりがすっかりよくなったので、アメリカへ戻ってからの運転に意欲が出てきました。まずはさっそく一人(娘と二人)で運転して近所のスーパーへ行ってみることから始めました。思ったのですが、隣に鬼教官がいるよりも気持ちが楽で快適です。それに、「自分の車」というのも思った以上に良いです。やっぱり愛着がわいてきます。

車が運転できたら、ぜひとも行ってみたかった所がありました。それは最寄りの図書館です。最寄りといっても、歩いて行くのはまず不可能な距離の住宅街の中にあります。私は日本にいる時から、(結婚してから引っ越しが多かったので)近所の図書館のカードを作って本を借りるようになると、その土地の住人になった気がしてほっとしていたので、ここでもそれをすれば少しは気持ちが落ち着くのではないかと思っていたのです(夫は図書館があまり好きではなく、読みたい本は全部買うタイプなので一緒に行ったことはほとんどありません)。

思った通り、娘の絵本などを借りてこられるようになると、気持ちが軽くなり、何でもできる気がしてきました。調べてみると、その図書館でも英語学習者向けの「talk time class」という無料の講座があり、 何とそれに通うようにもなったのです。(英会話についてはまた別の記事にします)

ついに高速へ!

季節はすっかり秋から冬になり、土地柄、雨が多く降るようになってきました。隣の市Bのお友達のところへ行くのにも、雨だとかなり面倒です。しかし、以前書いたように、隣の市へは、高速に乗らないと絶対に行けないのです。娘はお友達に会えることをとても楽しみにしているし、隣の市Bには雨でも遊べるショッピングセンターがあるので、何はなくともそこまでは一人で行けるようになりたい!という強い動機が私をついに動かしました。高速を走る決意をしたのです。

週末、夫についてもらって一度往復してみました。何度も助手席から見ていた道であったのと、ほとんど車線変更せずに出入りできたので、これはいける!と確信。次の週には、一人で運転して遊びに行くことができたのです。

それ以来、隣の市の中心部へは、娘と二人でよく行くようになりました。車に乗れるようになると、雨の日の外出に徒歩、などということはもはや考えられなくなります。

そこで得られた教訓。

怠惰は恐怖に勝る!

そしてまたも引っ越し

行きたかった最寄りの図書館と隣の市Bへ行けるようになって、体調もよくなり、順風満帆に見えたのもつかの間。程なくして引っ越しが決まったのです。隣の市Bとは反対側の隣の市Aの、よりによって中心部です。こちらの方が大都会で交通量も多く、高速道路は分岐が複雑…。この市へは、入るのも出るのも大変。また運転練習のし直しか…。しばらくは市内に閉じ込められる生活になるのか…(または、慣れない道を鬼教官にしごかれながら運転する日々か…)と、憂鬱な気分になったのは言うまでもありません。

只今、現在進行形で特訓中です。晴れて克服できたあかつきには、その3でご報告したいと思います。。。

右側通行の車生活その1 (半分以上愚痴)

自分の右側通行の車生活を振り返ってみました。状況は良くなってきているので書くのですが(運転できるようになったのはひとえに夫のおかげです、夫には大感謝です)、今回は半分以上愚痴です。気分のすぐれない方は、余計気が滅入る可能性がありますので、ご注意ください。

 

免許取得まではおおむね順調

アメリカは、ニューヨークのマンハッタンにでも住んでいない限り、生活する上で車は必須らしいです。日本でも大都市以外はそうですよね。私は地方都市のベッドタウン出身なのでよくわかります。ただ、免許取るのが東京出てからだったので、ペーパードライバーになってしまっただけなのです。

私もある程度は覚悟の上で、日本から出る前にゴールド免許を握りしめ、自動車教習所のドアを叩き、ペーパードライバー教習を受けたのです。(高速教習は受けそびれてしまったけれど)

 

渡米して約1ヶ月経った7月の末。

何とか筆記試験に続いて翌週実技試験に合格し、さらにその翌週あたりに免許交付所へ行って(長いこと並んで)現地の運転免許を取得しました。ここまでは、割と順調に進みました。自分もやればできるじゃん!と自信が付いてきた頃でした。

しかし、ここからの道のりが長く辛い暗闇のトンネルでした…。

 

運転する気が起きるまで

都市部から郊外へ引っ越し、それと同時につわりが始まったのです。

夫からは、せっかく実技試験パスしたばかりなのだから、たくさん乗らないと慣れないぞ、とつつかれるものの、新しい環境と吐き気、体調の悪さにより、何事にも積極的になれない日々でした。

周囲は車の交通量も多くなく、練習するには最適です。しかし、近郊の都市部へ行くには絶対に高速道路(無料のフリーウェイ)に乗らなければならないという環境です(詳しくは書けませんが、これはもう絶対なのです)。

最初はいたわってくれた夫も、元来せっかちなので、ことあるごとに運転をするよう勧めてきます(夫の車は購入済)。この人は、車(というか機械)と運転が苦にならない人種です。正直いって、つわり中に一番辛かったのが、この運転しなきゃという脅迫観念でした。

理性では、周りは交通量も少ないし、道も単純だし、運転はたくさんした方が慣れるし、試験から間をあけない方が良いし、高速乗る練習もしないとどこにも行けない、ということはわかるのです。頭ではわかっていても、気持ちと身体がついていかないのです。そして、そのことを夫は理解できず、ただ単に私がまだ運転を怖がっているだけとか、怠けているだけだと思っているのです。

これは、帝王切開後2週間足らずで都心の運転練習をさせて頂いた悪夢を思い出しました。娘の退院直前で、安全に運転できるのは今しかないという勧めによるものでしたが、まだ降圧剤も飲んでいたし、どう考えてもよくないタイミングでした。未だにフラッシュバックに苦しみます。その後、シドニー同行で運転の必要がなくなり、帰国後夫が大型の車に買い換えるのにあたって、もう私は運転しませんと宣言して東京では練習していませんでした。

 

自分用の車を購入

夫には、「24時間、いろは坂(@日光)にいるような気分なんだよ!」と言っていたのですが、さすがに2ヶ月以上もそれが続いていると、何しろせっかちなので、明らかにじりじりしてきていました。多少波はあるものの、2ヶ月以上吐き気がしているのはこっちなのに‥。私が「運転する気になったら自分から言うから、車の話はしないで」と言っても、少し元気そうな様子を見せると翌週にはまた運転を勧めてくるという有様で(本人は善意でやってるつもり)、もうこれは逃げられないなと諦めました。

でも、夫の車で運転するのがどうしても嫌だったので(そもそも初心者に向かないような車が好きなので、私が運転し辛いのと、傷付けたり何かあったら嫌なので)、「自分の車を買ってから運転の練習がしたい」と申し出たところ、早くも3日後にはアパートの駐車場をもう一つ申し込んでくれました。

「せっかくお金払って駐車場借りてるから、早く車買わないとね」とまたつつかれるので、まだつわりが治まっていない9月末日の日曜日の午後、ついに「車を見に行く」と重い腰を上げました。それまでも、どの車を買うのか、と隙があれば車の話をされて、これにしようというところまで決めてはありましたが、車を買いに行くと決めたのは、もうそれ以上車の話をしたくなかったというのが本音です。

何度も書きますが、当時、2ヶ月間も車酔いが続いているような状態だったのです。どうか、車酔いしている人に、車の話をしないであげてください。24時間いろは坂なんですマジで。

 

さて、ディーラーで1割も分からない早口の英語を横にききながら、つわり対策用の飴を舐めてやり過ごし(交渉はもちろん夫)、試乗もせずに車を買いました。色だけは、黒は嫌と伝えましたが、他に特に自分の希望はありませんでした。日本から持ってきた自分の資産(の一部)は全てこれに費やしました。日本にいたら自分では絶対買わなかったであろう、四駆のSUVというらしい種類の日本車を購入しました。全体的に気に入ってはいるのですが、なんとナビがついていませんでした‥。

車選びについては、また別の記事を書きたいです。

 

納車が10月頭で、そこから実際に運転し始めるまで更に1ヶ月かかったのですが、長くなってしまったので、その2に続きます‥。

臨月超え

連休だった週末は、引越しの為の新居との往復でほぼ終わりました…。大きな家具や運びきれなかったものは後日業者に運んでもらうことにして、とりあえず新居で必要最低限のもので暮らし始めました。

そうこうしているうちに、妊娠22週目に入ったのですが、まだ折り返し地点とはとても思えない、お腹の大きさです。

二人目はお腹が大きくなるのが早い、らしいのですが、それにしても、大きい気がします。娘の臨月の時くらいは、すでにあるような気がします。病院で腹囲とか全く測らないからよくわからないのですが…。

 

そして、やっと体重計を買ったので昨日計ったところ、なんと、娘出産直前の体重を超えていました…。

元々、それほど体重が戻っていたわけではなかったものの、つわりで一時減ったことだし、あまり増やさないでいこうとしていたところでしたが、あっけなく突破してしまいました。食欲が戻り過ぎたかな…。

まだまだ先は長いのに、この調子ではどこまで大きくなるのか…。でも、考えてみたら娘は出産時2000gなかったので、次の子は妊娠高血圧症候群もなく順調に育てば、娘の倍くらいの体重で生まれてくる可能性もあるのです。大きいのは、順調な証拠なのか…。いずれにせよ、ダイエットは禁物なので、健康的に過ごすしかないですね。

 

15週頃から、お腹の皮膚がピリピリし出していたので、妊娠線用クリームを塗っています。アマゾンでよく売れているらしいクリームは、匂いが全くしなくてお気に入りです。

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あと、14週頃から、医師の助言の元、妊娠高血圧症候群を予防するためにアスピリンを少量飲んでいます。それから、妊婦用マルチビタミンと、DHAも自分で買って飲んでいます。

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領事館からの注意喚起のメール

アメリカは、本日、11月24日(第4木曜)の感謝祭(Thanks giving day)からクリスマスまで、ホリデーシーズンに突入する、らしいです。4連休に親戚で集まって七面鳥を食べたり、旅行へ行ったり。25日金曜日(Black Friday)は厳密には祝日ではないものの、みんな休みを取り、4連休にするようです。

 

ハロウィンと違って、感謝祭は日本のカルチャーに入っていくことはまずないのでは、と思うのですが(Black Friday のセールは定着しつつあるようですね)、どちらにしても、どこにいても、そういうイベント事には疎い我が家です…。

ハロウィンは、日本から帰国したばかりで時差ぼけでほとんど寝て過ごしてしまいました。まだ地域にとけこむような付き合いもないし、行くとしたらショッピングセンター位だったのですが、当日は大変な混雑だったようです。仮装した子ども達は、お店を回ってお菓子をもらえたとか。昼間も仮装した子ども達をちらほら見かけました。

 

我が家(というよりも夫)は、みんなが同じ日に何かを食べたり同じところに行ったりする(混雑する)こととか、迷信とか、意味もない宗教的な行為が嫌いなので、結婚してからこの方、そういう楽しみとはご無沙汰です。私は必ずしも嫌いではないのですが、行くと不機嫌になる人とあえて一緒に行こうとは思わないので、どうしてもというときは一人です。

そもそも、結婚式も実は挙げておらず、披露宴のみでした。宗教的な意味は無いとのことで、仏滅でした(笑)。神でも仏でもなく、ましてやキリスト教の神でもない、自分達で天に誓えばいいのでは?みたいな感じです。披露宴は家族の為に結構きちんと行いました(とても楽しかったのでやってよかったのですが)。

クリスマスは、私が飾り付けが好きなので、すると喜んでくれるのですが、うちの中でひっそり楽しむ程度で、お出かけはしません。(あえて行くならクリスマスに中華、とか逆張りの発想になります)

お正月も、初詣は最低3日からで、祈祷も無しです。毎年元日に親戚一同でご祈祷してもらっていた田舎出身の私からするとなんだか物足りないのですが…。

夫に言わせると、みんなで同時に何かをするのは、非効率的で不経済だから嫌いなんだそうです。コンピュータサイエンス的発想だな…とつくづく思います。もうこれは仕方がない。

 

何が書きたかったかというと、このように元々イベントを楽しまない我が家ではあるのですが、アメリカへ来てからより一層そういうお祭り気分を消沈させる出来事があります。

日本総領事館からの、テロの注意喚起メールです。

アメリカで何かお祭り騒ぎ的なことがある時期や、イスラム教の大事な行事がある時期などに、国際テロ組織が積極的にテロを行うように呼びかけているので人の集まるところや人混みなどは避けるように注意してください、と日本総領事館から日本人へ一斉送信されてきます。

これからのホリデーシーズンはショッピングセンターなどが週末ごとにごった返し、様々なイベントやパレードがあったりするので、行ってみたいのですが、実際怖くて行けなさそうです…。平日にチラ見してくるくらいかな。

 

ところで、こんな時期にまた引越しが決まってしまいました。夫のオフィスにより近い都市部に引越します。今のアパートは、都市部に近い割にのどかで良いところで、車の運転のリハビリにはなったし、英会話の練習も少し始めてはいたのですが、また一から生活の立て直しです。正直疲れるので、もうこれでしばらくは引越しが無いことを祈ります…(アメリカ来てから3回目)。英会話と、車の運転については、また書きたいと思います。