国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

二人目が生まれる前に、娘への愛を叫ぶ

娘、2歳半です。

「魔の2歳児」という言葉を妊娠中からよく目にしていたので、出産してからも、どんなものなのだろうかと思っていました。今回は、まさに魔の2歳児ど真ん中である我が子が、いかに可愛いか、という内容です。親バカです。

 

妊娠中に一番心配だったのが、我が子をかわいがれなかったらどうしよう、ということでした。これは結構本気で悩んでいました。お腹の中にいる間は何も言わないし動き回らないけれど、これが外に出た瞬間から泣いたり、少し経てば動き回るようになる、ということが妙に恐ろしく感じられたのです。あと、私は自分の容姿が好きではないので、自分に似てしまったらかわいがれないのではないか、というのも心配でした。

生まれてみると、全く自分に似ておらず、色素が薄くてはじめは金髪だったし、色白でとてもかわいい女の子です。おまけに小さかったです。小さく生まれたので、赤ちゃんの頃の間は、他の子より3ヶ月くらい大きくなるのが遅い感じでした。だから、新生児サイズの期間が長かったです。

泣くには泣くけれど、何もできないし、本当にか弱い赤ちゃん。自分は母親、というよりも、お世話係一号だ、というくらいの責任感と義務感でお世話をしていました。天からの授かりものを、畏れ多くもお育てする、という使命を実行するために、自分は存在しているのだとその時本気で悟りました。

古語の「かしづく」には、「大切に守り育てる」という意味もあるのですが、それがようやく分かりました。確かに、子どもにはかしずいているとしかいいようがない面があります。

もう、これは『竹取物語』の嫗の気持ちです。娘はいつか月に帰ってしまうのではないか、と不安になる時もありました(今でもたまにそう思います)。

 

この時点でかなり溺愛しているのですが、まだ言葉を話していないからかわいいのではないか、と内心疑っていました。意味のある言葉をしゃべり始めると、女の子は生意気だとか、一人前のことを言うとかで、かわいく感じられなくなるかもしれない、と不安に思っていました。

自分が単なるお世話係から、「母親」になったのだなあ、と実感するようになったのは、娘が1歳3ヶ月になり、「おかあさん」と呼んでくれるようになってからです。実際の発音は、「おかあちゃん」です。

実際、しゃべり始めたら、かわいいのなんの。

まず、声がかわいいのです。こんなに子どもの声ってかわいかったかなと思うくらい、何度聞いてもかわいいです。歌を歌うようになると、それがまたかわいい。

それから、発音がかわいい。「さしすせそ」が、「ちゃちちゅちぇちょ」になるので、何をしゃべってもかわいいのです。私達夫婦は、子どもが生まれても「赤ちゃん言葉」が出ることはなかったのですが、娘が舌足らずなしゃべり方をするようになると、かわいいのでつい真似したくなってしまいます。娘がその場にいない時も、二人でよく娘のモノマネをしています。

最近は、「ちゃ」が「つぁ」になってきました。なぜか。「おとうちゃん」が「おとうつぁん」になります(「おかあちゃん」も然り)。このままいくと、「おとっつぁん」になる日も近いかもしれません。

これだけで、もうしゃべっている内容が何であってもかわいいのです。文字にしてみるとかわいげがないことでも、実際に娘が発していると、かわいいとしか言いようがありません。毎日私は「かわいいなあ」を連発しています。娘は特に喜んでいる節はありませんが。

 

そして、動きがかわいいです。短い手足で走ったり踊ったりよじ登ったり…もう何をしていてもかわいいのです。2歳って、だいぶ大きくなるし、赤ちゃんのようなかわいさはなくなるよなあ、と思っていたのですが、やっぱりその時その時のかわいさというのがあるものです。それにしても、ここまで2年半子育てをしてきて、何だか、今この時期が一番、妊娠前から想像していた「小さい子どものいる生活」だなあ、としみじみ思います。

「子どもは3歳までに一生分の親孝行をする」という言葉をどこかで聞いたことがあるのですが、この先、どんな風に子どもが成長していっても、これまでの娘のかわいさを胸に頑張ろう、と思えます。逆に、子どもが小さい頃の記憶があるからこそ、親はこの先のティーンネイジャー育児を乗り切れるのではないか(もしくは子離れできないという事態も起こってくる)と思いました。私はこれまで10代の子ども達ばかり見てきたので、子どもというものへの見方が偏っていたように思います。

自分ではその気は全く無かったのですが、今思えば、これまでの私の子どもの見方は「性悪説」的でした。子どもなんて、言うこときかない、ききたくないのが当たり前で、少しでも楽をしようとするし、後先考えずに自分のしたいことを優先するし、他人の迷惑を考える余裕もない。他人の目がなかったり、集団になるとそれは顕著で、そういうものであるということが前提でそこから考えていつも教員という仕事をしてきました。まあ実際、そうする必要があるからそうなっていったのですが。

しかし、我が子を生まれた時から見ていると、やはり「性善説」、人は生まれながらにして「善」である、と思わざるを得ません。もう、善の塊。幸せの塊。毎日一緒にいてくれてありがとう、という気持ちしかありません。

 

ただし、甘やかしているというのではないつもりです。あいさつや歯磨きなど、しつけや安全・健康に関わることは、言うことを変えないようにして、毅然とした態度で臨んでいます。最近、歯磨きは毎日バトルですね…。本当に頑固な時は頑固な子です。以前は自分で磨きたがって、仕上げ磨きをさせてくれませんでしたが、最近は磨くこと自体を拒否しているので、無理やり仕上げ磨きをせざるを得ない状況です…。

でも、歯磨きが終わると上機嫌で歌い出したり、人形遊びの時に母親と同じことを言って人形に歯磨きしてあげたりと、心には届いているのかな…?と思います。もう少しだと思って頑張ります。

 

二歳半近くになってから、娘のパーソナリティーに急に変化が出てきました。何だか、しゃべり方が、「お調子者」なのです。それどこで覚えてきたの…?というしゃべり方を、保育園に行く前からし始めました。テレビもそれほど観ていないのに…。あと、変顔も得意です。夫婦で、お互いに、相手に似たんだねと言い合っています。

 

第二子妊娠中ですが、特に母親に対する執着が高まったりはしていません。これは少し寂しいですが、助かっていることでもあります。元々お父さん大好きっ子(に仕立てるつもりで子育てしていた)なので、良かったです。

 

現在一番の心配事は、次に生まれてくる子を、長女のようにかわいがることができるのか、ということです。自分自身が次女なので、第二子の扱いに関しては色々思うところがあります。自分の子どもには悲しい思いをさせたくない、とは思うものの、これだけ長女となる娘を溺愛している中で、第二子となる次女を平等に扱えるのだろうか…という不安が常にあります。今はただ、「自分に似ませんように」と祈るばかりです。

とはいえ、自分に似ていたらそれはそれでかわいく思えるかもしれないし、長女を妊娠中に感じていた時と同じように、その心配は杞憂に終わることになるのかもしれません。

 

 

 

日本語教育についてのあれこれ その2

とりとめもない前回の続きです。

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最近行き始めた日本語教室は、少人数制なのですが、私以外のお母さん方は全員国際結婚でした(つまりお子さんは皆ハーフちゃんです)。年齢も娘より数ヶ月上の子が多いのですが、だいたい同じくらい(2歳)です。そして、みんなよく日本語をしゃべっています。英語が出てくることは少ないです。(少し小さい子は英語が出てくることがあります)

教室の内容は、日本人向けの早期教育という感じです。漢字やものの名前のフラッシュカードをしたり、ひらがなを書く練習をしたり、みんなで絵本を読んだり、工作をしたり、歌を歌ったり。1時間弱で盛りだくさんの内容です。日本語幼稚園に附属しており、3歳になるとパートタイムからフルタイムまで選べる幼稚園に入ることもできます。この教室の内容を発展させたことを、遊び時間含めて午後までやってくれます。かなり、日本語にどっぷりな環境です。

(ちなみに、ここで日本語の絵本を借りることもできます。)

 

 

この教室で知り合ったお母さん方に、気になることをいくつか質問してみました。すると、答えは意外なものばかりでした。家庭によって、もちろん程度の差があるとは思います。私がお話した3〜4家庭は以下のような感じでした。

  • 家ではお子さんと何の言語で話していますか? →日本語のみ
  • お父さんは日本語を話せますか? →ほとんど話せない(英語のみ)
  • お子さんはお父さんとは英語でコミュニケーションをとりますか? →英語はほとんど話さない(父親は子どもが何を言っているのか、だんだんわからなくなってきたらしい)
  • この教室以外に、現地のプリスクールなどに通っていますか?また、通わせる予定ですか? →学校関係はこの日本語教室のみ。現地のプリスクールには通わせる予定はない(4歳になったら、5歳からのキンダーガーテン(ほぼ義務教育)の集団生活に慣れさせるために通うかもしれない)
  • 子どもには、英語に触れる環境も用意した方がいいと思いますか? →特に必要を感じない キンダーの一年間で十分話せるようになるらしい
  • 我が家は夫も日本人だが、英語も教えた方が良いと思いますか? →両親日本人でも、現地校へ行き出すと日本語をさっぱり忘れてしまうらしいので、学校へ行き始めるまでに日本語を少しでもたくさん教えるべきでは?

ここの幼稚園の主催者の先生(女性、日本人)も、国際結婚でお子さんがもう大きいのですが、土曜日には日本語補習校にも通って、立派にバイリンガルに育っているようです。やはり、家庭では徹底して英語を禁止していたとのことです。

バイリンガルを目指すには、徹底して第二言語を鍛えることが必要なようです。まあ、そうですよね…。

特に、ここの教室に通わせるようなお母さんたちは、相対的に日本語教育に対して「意識が高い」人たちばかりだと思います。そのお母さんたちが皆国際結婚だったというのは、興味深い事実だなと思いました(場所柄もあるのですが)。国際結婚ということは、お母さん自身は英語も堪能なのだと思います。それでも、なのか、それだから、なのか。現地校へ行き始めるまでに、少しでも日本語の環境にいて日本語を身につけてほしいという様子でした。逆に、英語に関しては放っておいても大丈夫、というある種の余裕を感じました。

ただ、「家では日本語のみ」といっても、やはり国際結婚の両親の元で育つのと、日本人の親の元で育つのとでは、圧倒的に英語に触れる時間が違うと思います。キンダーへ行くまでほとんど英語に触れさせないで育てるのも、我が家としてはそれはそれで不安になってしまいます。どうしたら良いものか、悩みます…。

 

 

我が家では、キンダーに入っても、土曜日の日本語補習校には通わせない、ということが決まっています。これは、大切な土曜日一日を日本式の学校生活に使ってしまうのは勿体無い、という夫の考えによるもので、何度も話し合った結果ようやく私が納得したものであります。その分、私が家で日本語を教えれば良い、ということなのです。それ以外にも、土曜日の過ごし方に関して、まあ私の前職のあり方とか色々なことが積み重なった結果のことなのですが。(従って、私が土曜日に補習校で勤務するという可能性もゼロです)

こういう話をすると、たいていは「家で親が教えるだけでは、難しいのではないか」と言われます。現にお子さんが小学校でどっぷり英語環境にいるお母さんは、その難しさを実感されているのでしょう…。

どうなのでしょうか…。そう言われ続けると自信が無くなってきます…。

 

 

ここまで自分が書いてきたものを客観的に読み返してみると、何だか自分が無意味に焦っているのがよくわかりました。どうして子どもに日本語が必要なのか。それは私の、非常に主観的な理由によるものなのです。子どもにとって一番良いことは何なのか。それをもっとこれから考えていくべきですね。今後、日本に帰って日本で教育を受ける可能性があるのならば、ある程度日本流の教育に触れておく必要があります。しかし、我が家の場合はどうかというと、まだまだ先のことでどうなるかわからないものの、夫はしばらくは帰らないつもりのようです。だから、私がこれまでどっぷり浸かっていた「日本的な観点」からの「日本語力」は、それほど必要ないのかもしれません。

 

これからは日本も、大学入試が変化し、センター試験も2020年を最後に廃止されることが決まっています(新試験の導入)。私はもはや「前時代的」な教員なのでしょう。アクティブラーニング導入により、日本の国語教育も変わっていくと思います(これについては別に意見があるのですが、いずれ記事にしたいです)。

私としてはむしろ、どんどん変わっていってほしいと思います。センター試験なんて、特に国語の試験はもうずっとひどいものだし、本当にやっている意味のないものでした。あれで200点も配点があって将来を左右される受験生は不憫でなりません。(和田秀樹氏はずっと「現代文で高得点を狙うのは諦めよう」的なことを書いています。)点数を取るだけの指導はある程度はできるのですが、年々やっている自分が嫌になってくるのを感じていました。他教科に比べて小問1問あたりの配点が高すぎますし。

やっぱり、現代文は小論文を書かせて、古典は知識問題で実力を問うべきだと思います。センターは選択問題しか出せないくせに読解に偏りすぎて、変な問題になっていました。(これについても別の記事にしたいです…)。こんな力、磨いてどうするんだよ、という。

私はこの異国の地で、日本語とは何か、日本語教育とは何か、娘を見守りながら、のんびり考えていきたいと思います。

 

 

 

 

日本語教育についてのあれこれ その1

在米日本人にとって、育児する上で重くのしかかってくるものが、日本語教育だと思います。

私は未だに日本人以外のママ友、知り合いがいない状況ですが、ありがたいことに数は着実に増えていっています(行動範囲が広がったことが大きいです)。お話していると、まず何といっても話題になるのが、日本語教育です。

もう、色々と恐ろしいことを聞きます。

  • 両親が日本人で、家で日本語しか話していなくても、学校へ行き出すと子どもは英語しか話さなくなる(親は、家では英語を禁止するなど、徹底した態度で臨まないといけない)
  • 10歳過ぎまで日本で暮らしていても、1、2年で日本語を話したがらなくなる(←これは、私が思うに学校での人間関係も絡んでくる年頃だからだとは思います)
  • 両親が(日本人)大学教授で、家で一生懸命教えて土曜日に補習校に行かせても、ほとんど日本の学習内容は身についていない
  • 小学校高学年になると、日本語補習校についていけなくてやめてしまう子どもが多い
  • ある日、子どもが、日本語を話したくない(勉強したくない)と言い出す

…等々。

 

海外に住んでいると、勝手に「バイリンガル」になると思われることが多いようで、私も当初はそう思っていたのですが、実態は全く違います。英語の発音は良かったり、日本語も日常会話なら理解できるので問題なさそうに見えるのですが、実は、どちらも中途半端な「セミリンガル」になる可能性が十分にあるのです。

もちろん、「バイリンガル」が何を意味するのか、どこまでを目指すのか、というのは人によってまちまちで、家庭の数だけ方針があるのだと思います。

でも、大抵どの家庭でも、最初は、「どちらの言語でも大人社会で通用する言語能力を身につけてほしい」と願うのではないでしょうか。しかし、次第にどちらかを取捨選択しなければならない、という事態になる場合があるようです。そして、どちらを選ぶかというと、今後の生活や学習の基盤となる言語、ということになります。つまり、アメリカにいる限りは、英語になるのです。これは、心のどこかで覚悟しておかなければいけないと、最近では思っています。

「大人社会で通用する日本語」を身につけるには、何といっても漢字の読み書きが必須です。日本社会では、漢字ができないと、日本人として、いや人として認められない風潮が色濃くあるのではないでしょうか。例えば帰国子女でいくら英語が堪能でも、日本人の顔をして日本語を話しているのに小学生レベルの簡単な漢字が読めなかったり書き間違っていると、かなりバカにされると思います。(実際社会人になってから必死で漢字を勉強したという人の話を聞きました)

特に私なんかは、(元)国語教員ということもあり、ほんの一年前まではアメリカに住むなんて現実として考えられなかったし、自分の子どもが日本語を話すのは当たり前だと思っていたし、むしろ平均的な日本人よりは日本語や日本文化に親しみを持つように子どもを育てられるだろうと自負していました。

それなのに、自分の娘が最初に挙げたような状況になってしまったとしたら…どうしよう。

もう考えるだけで恐ろしくて、焦ります。

これは、日本国内で英語ができることと、米国内で日本語ができることが、当たり前ですが同じ価値を持たない、ということも関係しています。圧倒的に、後者の方がモチベーションが低くなりがちです。日本語ができて良いことなんて、ほとんどないし、むしろダサい、くらいに思われるのです(ついでに英語ができないのに学校に来る母親が嫌われたりするらしい…涙)。おそらくオタクのアメリカ人で、日本語少しできる人なんかは、たまにいるのですけれどね。

夫には、「日本語ができないことの、何がそんなに嫌なの?」みたいに言われるのですが、もう理性を超えた、本能的な恐怖だと思います。自分の子どもが日本語ができないというのは、自分自身のアイデンティティの崩壊と同義なのです。我が家は家庭内でも、これだけ日本語教育に対して温度差があるのです…。ましてやそれぞれ家庭ごとに色々な方針があるだろうことは想像に難くありません。

そして、意外なことに、この日本語教育について、より熱心なのは、「片方の親(特に母親)が日本人」の、国際結婚カップル親子だということに最近気づきました。

長くなってしまったので、その2に続きます…。

  

娘の日本語状況(2歳5ヶ月 在米7ヶ月)

娘の日本語

 

  • 娘2歳5ヶ月
  • 在米7ヶ月

 

娘の成長記録を、これからは言語にフォーカスして書いていこうと思っています。生まれてからこれまでの取り組みは、追々別の記事にすることにして、ひとまず、この2ヶ月くらいの成長を書きたいと思います。

 

家では…

我が家は夫婦共に日本人なので、家では日本語しか使いません。娘にももちろん日本語でしか話しかけません。ただ、単語レベルでは英語も少し教えています。絵本は、英語のものも借りてきているので、読み聞かせを多少はしています。英文を読んだ後に、日本語で説明しながら読んでいます(けっこうわからない単語があるので、予習必須です…)。YouTubeは1歳半頃から、日本語英語関係なく見ています。アメリカに来てからは日本のテレビ(Eテレ)も観ていますが、最近変化があったので後述します。以前書いたように、月、日、曜日の感覚を身につけられるように、現在取り組んでいます。

 

五十音

まずはひらがなだけですが、五十音表を見ながら、「あいうえお」の歌を歌って一通り言うことはできます。たまに、音程をなくして唱えていることもあります。また、「あいうえおのえほん」のほぼ全ページを自分で読む(?)ようになりました。大きな文字を指でなぞることもできます。本文はおそらくほとんど記憶してしまっているのですが、たまにヒントを得るように文字を見ていることもあります。

文字認識(読み)はもう一歩、という感じです。まだ形と音が一致するものの方が少ないくらいじゃないかな、と思います。

「あいうえおのえほん」を読み始めた頃の記録

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仮定・条件

「〜したら、〜できるよ」「〜たら、〜しようね」という、仮定や条件付けの内容を理解できるようになりました。おかげで、どうしても後回しになってしまう野菜や食べ慣れないものも、好きなものをおかわりする前に食べさせることができるようになりました。他にも、イヤイヤする歯磨きや、着替え、おむつ替えにも応用できます。

 

因果関係

「今〜(だ)から、ちょっと待っててね」のようなことを、自分で言うようになりました。「から」「だから」を使って文章を組み立てています。

 

Eテレ幼児向け番組…

朝の時間の一連の幼児向け番組(「みいつけた!」から「えいごであそぼ」くらいまで)を、渡米してから毎日夕食の準備時間に見せていたのですが、最近、飽きてきました…。YouTubeの方が良いみたいです。おそらく、自分で観たいものを選べて、次々と変えられるから。それから、自分が観たいDVDを持ってくるようにもなりました。やはり、現代っ子は、マスに向けて作られたコンテンツには見向きもしなくなるのでしょうか…。

 

おもちゃ動画…

YouTubeの中でもお気に入りは、以前は歌やEテレ関連だったのですが、最近はユーチューバー(?)の作っているおもちゃ動画をよく観ています…。おもちゃ自体を欲しがったりするわけではなく、ただ観て楽しんでいます。こういうのってどうなんだろう、と思っていたのですが、自分が遊ぶ時の参考になるらしく、動画を真似してごっこ遊びをしたり、遊び方のバリエーションが増えてきたりもしているので、まあいいのかな、と思ってしばらくは見守ることにしました。ちなみに、自分でiPadからYouTubeアイコンをクリックして観ています。本当に使うようになるのだな…と感心しています。

 

日本語教室

週に一回親子で参加する日本語教室へ行き始めました。「読み・書き」も、みんなと一緒に遊びながら触れています。せっかく行っているので、教室でやったことに関連することを、家でも一週間折に触れて思い出させたり、同じようなことをやってみたりしています。最初に書いた「あいうえおの歌」なんかは、教室で歌っているものです。(実は最近までは自作のあいうえおの歌でした…)

この教室へ行って勉強になったことは、絵本の文字を指でたどりながら読む、ということです。教材となる冊子が、親子に一冊配られて、みんなで声を出しながら指でなぞって読むのですが(漢字もバンバン出てくる)、指でたどることで、今どこを読んでいるかわかり、子どもも集中できるようになった気がします。それまでは、子どもが自分でめくりたいタイミングでめくろうとしてしまうので、なかなか全部を通して読むことが難しい本もありました。

自分自身もそういえば、小学校低学年のうちは、なぞりながら教科書を読んだ覚えがあります。映画の英語字幕を見ながら、英語を勉強するようなものかもしれません。

 

2歳の誕生日を迎えた時点で歌えている歌を、以前、記念に記録したことがありました。↓

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この時、日本語の歌だけで40曲くらいあったのですが、今はレパートリーが、少なくともその倍くらいにはなっていると思います。(もう数えていないのですが…)

にほんごであそぼ」のDVDも買い足し、古い日本語の歌詞にも触れています。

(「吾れ十有五にして…」、「じゅげむじゅげむ」、「うなりやベベン平家物語」(←祇園精舎の前半部分)なども歌うようになりました。)

人には「視覚優位人間」と、「聴覚優位人間」がいるとのことですが、娘は今の所完全に「聴覚優位人間」だと思います。耳で聞いたことの方が、よく理解できて、覚えるようです。私も完全に「聴覚優位人間」なので、遺伝かなと思います。あと、親の私がいうのも本当に親バカですが、娘は音感が良いと思います。歌の音程がとても良いです。

 

 

にほんごであそぼ たっぷり [DVD]

にほんごであそぼ たっぷり [DVD]

 

 

 

 ↑この「ありがとう」は、番組オリジナル曲の他、童謡がまとめて入っていて、とても良いです。

月・日・曜日

上で、娘は「聴覚優位人間」と書きましたが、それがよくわかったのが、この取り組みです。最初はスケッチブックを用意して読んでいましたが、一ヶ月続けたら(予想はしていましたが…)開くのに飽きてきてしまいました。ところが、復唱したり、自分で言うのが嫌になったわけではないらしく、夜寝る前に言うようになりました。なかなかやめずに寝ないので困るくらいです。日本語は日本語で連続して、英語は英語で連続して言う方が好きなようです。ただ、「今日は何曜日だった?」のような質問には、当てずっぽうなことが多いです。。

始めた頃の記録

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まとめ

娘の日本語力は、今のところ日本にいる平均的な子と、それほど変わらないのではないかと思います。よくしゃべっているし、文字も認識し始めています。それもそのはずで、まだ家の中でも外でも、ほとんど日本語しか使わない生活しかしていないからです。むしろ、ちょっと英語圏に住んだからといって、生まれてからこれまで必死に語りかけたり読み聞かせてきた日本語が無になることなどはない(なったらたまらないとは思いますが…)ということがわかり、ほっとしています。
ただ、何の言語でも、一つのハードルとなるのが「読み・書き」で、日本語は特にそれが難しい言語だと思います。だから、少しまだ年齢には早いかな、というくらいの取り組みをしていかなければ、今後、年齢相当の日本語力は維持できないと考えています。具体的には、少し早めに漢字に触れて苦手意識を持たないようにしていきたいです。とはいえ、聴覚優位の娘にはまだ興味も薄いことなので、様子をみながら進めていきます。日本語教室での取り組みを参考にしながら、自分なりに試行錯誤していきたいです。

 

保育園…

日本では、保育園の内定が通知される時期ですね。

思えば我が家は、二年前、オーストラリアで内定通知を手にしました。何だかこう書くと、すごく国際的な感じがするのですが、日本と日本語が大好きなだけの私の人生、どうなってしまっているのだろう…。↓

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3月末に日本に帰国してから、怒涛の入園、復職準備をし、産後復帰を果たしました。(頑張ったわりに、1年でワーママ生活が終わりを迎えるとは…。)つまり、娘は約1年間、日本で保育園生活をしたわけです。

 

保育園に通うことにしました

実は、うちの娘、結局こっちでもしばらくの間保育園に通うことにしました。幼稚園とか、保育園とか、習い事とか、いろいろ考えていたのですが…

見学して回っていた頃の記録↓

 

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結論として、日本語保育園に週2回通い、習い事に週1回行くことにしました。

こっちでも、保育園(特に日本人向け)は激戦という話を聞いていましたが、奇跡的にパートタイムで空きがあったことと、広い園庭もあり(他園と共用ですが、時間で区切っています)見学に行った感じが良かったことが決め手となりました。東京でも、認可と認証の大きな違いがこの「園庭」の有無だと思います。だから認可園が人気なのですよね。

今現在、優先するべきことは、何より娘が安全にのびのびと全身を使って遊んだり、色々な体験をすることだと夫婦で意見がまとまりました。都市部に引っ越したことによって、安全で広い公園に行くこと自体のハードルが上がり(徒歩で行けない)、私の妊娠によって公園遊びがなかなか実現できずにいることが一番の気がかりだったのです。

この保育園は、日本人スタッフの作った日本食の給食も出してくれるし、おやつも朝夕出してくれます。また、初日は一日の娘の様子をメールで写真付きで(しかもたくさん)送ってくれました。今後も、毎週全員にその週の報告を写真付きで送ってくれるようです。ただ遊んでいるだけではなくて、音楽や体育やアートの時間もある、とのこと。ありがたいです。

保育料が高いのが難点ですが(週2日なのに、東京でフルタイムで払っていた金額よりも高い)、優しい旦那様(鬼教官と同一人物)が快諾してくれたので、晴れて入園することができました。東京だったら、中途半端な時期に2歳児クラスに入るなんてまず不可能ですよね…本当にありがたいことです。

現地の人向けの保育園は、とにかく良い評判を聞くことがないので(先生は遊ばせているだけとか、ランチがピザとかマカロニチーズとかフライドポテトとか…)、何かと手厚くコミュニケーションも取りやすい日本人向けのところに行けて、良かったなと思っています。産後しばらくまでは通わせてもらって、3歳を過ぎたらまた幼稚園とか教育的なことは考えよう、とのんびり構えることにしました。

日本語教室の習い事も週一回行くことで、何かしてあげなきゃという親心の自己満足にはなるかな、と考えています。

 

 

 

 

 

 

ブログの方向性…。

2歳になるまでは、約1ヶ月ごとに、2歳になってからは約2ヶ月ごとに、記録してきた娘の成長ですが、これからはブログの方向性を考えて、日本語と英語の、言語の発達に特化して記事を書いていこうと思います。せっかく、元国語教員がアメリカに住むという因果な生活をしているので、その特徴をもっと出したいなと思っています。どういう需要があるのかは謎ですが…。

 

バイリンガルへ向けて

一応、私は子どもに日本にいる子ども達と少なくとも同等の日本語能力を身につけてほしいと願っているので、今後はそれへ向けた取り組みを書いていこう、いけたらいいな、と考えています。また、現地の学校へ行くことになると考えると、現地の生徒とも遜色ない英語での学習能力を身につけなければなりません。できるのか、果たして?

2歳目前まで日本で育った長女と、無事にいけばアメリカ生まれになる次女との違いも個人的には興味深いです。それから、こっちで育っている娘のお友達の様子などとも比較してみます。

 

生活の様子は、何かあればその都度

子どもの身体、心の発達については、あまり期間にこだわらず、気がついたらその都度書いて、育児記録として残していこうと思います。(その方がちょこちょこ書けて、ズボラな私は忘れないような気がします。)

 

以上、自分自身に言い聞かせるために、文字にしてみました。もちろん、その他愚痴やどうでもいいことも書きたくなってしまうのでご容赦ください…。

VBACチャレンジ希望です

第一子出産直後から愛読している漫画の一つに、『コウノドリ』(産婦人科医漫画)があります。Kindleで、新刊が出ていることに気が付いたら読む、という感じでのんびり読んでいます。妊娠中から読んでおけばよかったなあと後悔したくらい、良い漫画だと思います。

(ちなみに今現在「出たら読む」ことにしているのは、このコウノドリと、『どうらく息子』(落語漫画)と『キングダム』と『宇宙兄弟』くらいです。どれもこれも毎回涙必至の熱い展開です!)

さてこのたび、『コウノドリ』16巻が昨年12月に出ていたことに気がつき(Kindle版はタイムラグがあるのかもしれません)、購入して読みました。そうしたら、 TRACK46での話題が、「VBAC」でした。何とタイムリーな。自分の中でだけなのですが。

「VBAC(ブイバック)」とは、一人目を帝王切開で出産した母親が、二人目を下から出産することです。そういう呼び方をするというのを、私自身最近知りました。

私の強い希望、というわけでは特になくて、何が何でも次は下から!という意志もそれほど強くはないのです。実は。ただ、一人目を産んだ日本の病院がそういう姿勢で、妊婦自身に特別な問題がない限りはメスは入れないというのを徹底していたし、入院している間にも、VBACで産んだお母さんの話は聞いていたので、そういうものなのだという先入観がありました。

ところが、産後色々な人の話を聞くと、一人目帝王切開だと、二人目も帝王切開になるのが通常なようでした。このギャップは何なのだろう?と不思議に思っていました。

アメリカでも、医師にどのように出産したいか聞かれましたが、特に自然分娩を止める理由は無い、とのことでした。それで、何となく、VBACの方が「進んでいる」ような気がしたのと、自分の中の好奇心が不安にまさった、という感じでしょうか。先日の健診で、正式に説明を受けて、サインしてきました。医師に止められないでできるものなら、一生に一度はやってみたいと思ったのです。

漫画にも描かれていますが、もちろん無条件にできるものではなくて、手術の際にタテヨコどちらの方向に切ったかが重要だと言われました。外の傷自体は横なのですが、中の子宮も横に切られているかを、日本の産院のカルテで確認してほしいと言われました。そこで、まず電話してみたところ、そのような情報は電話でやりとりすることができないので、来院するしかないと言われました。(縦か横か知りたいだけなのに、飛行機に乗る必要があるの!?往復一人10万円です。本当にびっくりです。こちらの医師に直接連絡して下さいと言っても、ダメでした。)

10月に一時帰国した時に、予約で行ったのに3時間も待たされた挙句(1時間も待ちませんよね、と電話で確認したにもかかわらず…)、医師と話したのは10分ほどで、紙切れ二枚をいただいてきました。何とかならないものでしょうか。

(ちなみに、その産院は大病院で、ドラマ「コウノドリ」(未視聴)に協力していたみたいで、手術カルテをもらいに行った時、ドラマのポスターと一緒に出演者陣のサインが書かれた手術着?がガラスケースに入れられ展示されていました。)

 

話は漫画に戻りますが、私が意外に思ったのは、漫画ではVBACが割と否定的に描かれていたことです。何が正解とかは無い世界の話だとは思いますが、メスを入れることも、入れないことも、お互いリスクがある出産なのだなあということは理解しておきたいです。

VBACで大きなリスクとなるのは、子宮破裂です。健診の時に、医師にきいてみました。「陣痛中に、もし子宮破裂をしそうになったら、それはどうしてわかるのでしょうか?」陣痛の痛みの中で、子宮が裂けそうだというのがわかるというのは、どういう状況なのか、少なくとも私本人にはわからないと思ったのです。医師の説明によると、赤ちゃんの心音や、様々な計器の値から、母子の状態がわかるのだそうです。だから、危なくなったらすぐに帝王切開に切り替える、ということです。私は漫画のようにあまりこだわりはないので、もしそうなったら医師の判断に任せよう、と思いました。

 

産後の回復はどちらが早いのか?

一般的には下から産んだ方が回復が早いとされていますが、私の経験では、帝王切開しても、翌日にはトイレまで歩かされたし(癒着防止のため)、二日目からは自動販売機にジュースを買いに行ったりして(これが唯一の楽しみ)、何かと動き回っていました。骨盤が広がることがなく、会陰切開も無いので、歩いたり座ったりは自然分娩の人よりも楽に見えました。コツさえ掴めば。

術後の痛みが辛いのですが、傷の痛みと、後陣痛と、両方あります。私にはその痛みの区別がつきませんでしたが、朝の術後から、夜寝て目覚めるまでが痛かったです。つまり、長くても24時間程度です。一日中、可能な限りナースコールしてモルヒネを点滴してもらいました(それでも痛い)。陣痛だって1日かそれ以上かかる人もいるわけで、麻酔なしの陣痛はよりきついと思います。

お風呂に浸かれるのも、自然分娩の人よりは遅いですが、新生児育児でそんなにゆっくり浸かっている暇もないので、それほど苦にはならないと思います。

ただし、これらも両方経験してみないと実際のところは何とも言えませんよね。無事VBACできたあかつきには、ちゃんとした比較をしてみたいと思います。

 

コウノドリ(16) (モーニング KC)

コウノドリ(16) (モーニング KC)