国語の教員でしたが、アメリカで子育て始めます。

高校の国語科教員を退職し、1歳の子どもを連れて、アメリカで生活を始めました。英語から最も遠い職業だった私の、渡航から英語の学習、米国での生活、子どもの教育等を綴ります。現在、上の子3歳。下の子1歳。

米国出産体験記4 入院3日目〜緊急帝王切開編〜

出産体験記が全く進まないので、全部書くのは諦めて、ひとまず書き上げた部分のみ公開することにします。0時から5時くらいまでの怒涛の5時間です。

 

出産のための入院も3日目に突入し、この日、ついに生まれます。

 

0:00 いきみを休止

陣痛の合間にぐったりと身体を休め、ほとんど寝ながら陣痛がくるといきんでいましたが、日付が変わる頃、「いきむのをやめてみましょう」と言われました。

正直いって、いきまないと陣痛が辛かったのですが、前々日からの疲労もピークに達していたので、体力回復のためなのかな、と思ってなるべく休んでいました。

 

1:00 緊急帝王切開を告げられる

いきむのをやめて1時間ほど経った頃、医師がやって来ました。言われたことは、ざっと以下の通りです。

「あなたは今までよく頑張ったわ。でも、あなたがいきむ(push)と赤ちゃんの心音が低下し、やめるとまた、回復するのを繰り返していたので、やめて様子を見ていました。今、あなたは熱が高くなってきて感染症にかかり始めています。破水してから時間も経っていて、分娩が長引くと赤ちゃんも感染症にかかる可能性が高まります。赤ちゃんがまだ元気なうちに、取り出した方が良いでしょう。帝王切開を勧めますが、どうしますか?」

私は、これを聞いた時に愕然として、涙があふれてきてしまいました。わんわん泣いたと思います。もう何から手をつけていいのかわからない精神状態でした。少し時間を下さい、と言って、夫と話し合いました。

私がなぜ悲しかったのかというと、まず一つ目は、これまでの努力というか、忍耐と、それを支えてくれた人達の全ての苦労がまったく無駄になってしまった気がしたからです。ほぼ丸二日間、自分でこの子を産むんだ、ということを夢見て耐えてきたものが無駄であり、お世話になった医師、麻酔科医、助産師、通訳さん…達に申し訳ないという気持ちになったのです。二つ目は、大事な分娩をほとんど寝ながらダラダラやってしまったからなんじゃないかと、もっともっと頑張らないといけなかったんじゃないかと、自分を責めてしまったからです。

結論を出す前に、そういう私の気持ちを、医師に伝えました。すると、医師はこう言ってくれました。

「あなたのやったことは無駄ではないのよ。赤ちゃんが出て来られるかどうかは、全開になってみないとわからないの。あなたは十分頑張ったし、いきみも十分な強さだった。ただ、あなたが頑張ると赤ちゃんが弱ってしまっていたの。何らかの理由で出て来られなくなっているから、これ以上は頑張らない方がいいと思うわ。」

こういう場合、日本では有無を言わさず緊急帝王切開だったのではないでしょうか。でも、医師が「あなたはどうしたい?」ときいてくれるのがアメリカらしいなと思いました。

帝王切開をすることにしました。

 

2:30 緊急帝王切開

準備ができるまで少し部屋で待ったと思いますが、思ったよりも早くオペの時間がやってきました。

 

優しい助産師さん

最後の担当だった助産師さんは、まだ陣痛に耐えていた時にも一度担当してくれて、若いのだけれど本当に優しくて天使のような人でした。

 

3:00 手術、出産

ふたたびエピドゥラルが注入され、下半身の感覚が無くポカポカと暖かくなってきました。その上、二日間の寝不足もあったので、横になるといつでも意識を失いそうでした。

ほとんど目も開けていられなかったので、あまり覚えていないのですが、この手術の感想は、とにかく手際が良い、の一言に尽きます。誰もが適度にリラックスして、まるでカフェでお茶でもしているかのようにいつの間にか始まり、気付いたら生まれていました。日本で帝王切開した時も早いなあと思ったのですが(15分)、今回は緊急だったこともあるのでしょうか、10分かかっていないと思います。

 

仮死状態!

しかし、次女が生まれてから、現場の空気は一変します。何やら緊張感が漂い、慌ただしい雰囲気です。通訳さんが冷静にこう言いました。「息をしていません」

私はほとんど開けても焦点が合わない目を無理やり開けて、部屋の隅に運ばれていく娘を見ようとしました。今でも焼き付いているのは、小さな青白い身体が両手を大きく広げ、硬直してぴくりとも動かない後ろ姿です。それ以降、自分の記憶はあまりありません。ただ、漫画「コウノドリ」を読みすぎていたせいで、「またまた、どうせ大丈夫なんでしょ〜」と、妙に楽観的だったのを覚えています。

夫は生きた心地がしなかったそうです。だめだったか、と思ったと言っていました。このときの印象的だった出来事を、後から教えてくれました。オペ室には緊急用レバーがあって、看護師の一人がそれを引こうかどうしようか迷っていたそうです。するとすぐにもう一人(医師?)が、「早く引け引け!」と言って、レバーが引かれました。すると、扉が開き、ドヤドヤと人がたくさん出てきた(夫談)そうです。それまでも部屋にはたくさん医師や看護師がいたのですが、こんなにたくさん待機していた人がいたんだ、とびっくりしたそうです。なんか、ドラマみたいですね。全然覚えてないのですが。

その後、夫は次女について行くとのことで、外は出て行き、私は産後の処置を受けました。

また夫の話ですが、いつかは定かではないものの、夫が部屋を出た時は娘は息を吹き返していたそうで、移動中の廊下はお祭り騒ぎをしながら医師や看護師がものすごいスピードで走っていて、自分はついて行くのに必死だったとのことです。アメリカを感じるエピソードです。

 

5:30 産後の部屋に移動、通訳さんとお別れ

詳細は割愛

 

14:00 長女が初対面

詳細は割愛!!

 

この後もドラマがありすぎて、ちょっと私の力量では文章にしきれませんでした…。気が向いたら書くことがあるかもしれません。

 

長々とありがとうございました。

生まれた時には息をしていなかった子が、無事一歳になりました。感謝しかないです。