保育園の影響大
下の子が生まれてから、保育園に行く日数が1日増えて、週3日になりました。それまで以上に、保育園の影響が強く出てきている気がします。良くも悪くも…。
今通っているところは、日本語の保育園なのですが、先生が日本語で保育をするというだけで、子どもは英語が優勢な子もいたり、そもそも家に日本語を話す家族がいない子もいたりします。
娘も初めて通った日から「No!」と言うようになって閉口したものですが、最近英語の語彙が増えてきたように感じます。
「Ouch!」「 Are you OK?」「 My!(Mineのこと?)」「Be quiet.」など、お友達がおそらく言っている言葉を覚えてきて使うようになりました。最近「アーハー」と返事をするようになってびっくりして、「アハって笑ってるんじゃないんだよ、わかってる?」とつい言ってしまいました…。おそらくわかっているようなのですが、なんか腹が立つ…。
もちろん日本語も保育園で覚えてきます。みんなで歌う歌はすぐに覚えて、家でも歌ってくれます。数の歌は、何種類か親が知らない歌を歌っていました。おかげで、数の概念がかなりはっきりしてきたようです。
日本語の方が好き
これもおそらく保育園で、主に年上の子に(娘はお姉さん達にかわいがられているらしい)言われているのではないかと思うのですが、「日本語しゃべって?」「英語しゃべって?」と親に言うようになりました。
よそのお宅へ遊びに行ったり、パーティーにお呼ばれしたとき、行く前に「(今日は)日本語しゃべるの?」ときいてきます。「日本語がいい」と言うこともあって、まだ英語に対する苦手意識みたいなものがあるのかもしれません。日本語の理解が進んできた分、理解できない英語には不安を抱くのかもしれないですね。何せ親の私もそうですから…。
因果関係がはっきりしてきた
「(自分の名前)、もっと大きくなったら(小さくなったら)〜〜できるようになるよ!」など、因果関係がきちんとつながっている文を組み立てて話せるようになりました。赤ちゃん返り中なので「もっと小さくなったら」ということをよく言うのですが、彼女の人生の中でもうこれ以上小さくなることはないんだな、と思います。
これなあに?
何でもきくようになってきました。しかも、言ったことをよく覚えているので、曖昧なことは言えなくなってきました。
絵本を読ん(?)だり、カルタ取りはできる
引き続き、読むと言うより、暗唱しています。カルタ(あいうえおカルタ)も、文字よりも絵を見て取っている感じです。
文字の認識はまだまだ
文字はまだ読めたり読めなかったり、という感じです。ひらがなは、だいたい読めるものの、似た形のものは間違えます。単語になると、おそらく、まだ文字の読み方の規則がわかっていないらしく、目に入る読める文字で勝手に言葉を組み立てて言っています。縦書きと横書きは、読む方向が逆になるので、そういうところも混乱しているのかもしれません。そのうちわかるでしょうか。
数字、文字を書く(なぞる)
数字や文字を書くことは好きなようです。水性ペンのついたボードブックを買ってあげたら自主的に書いて練習?しています。日本語の習い事でも、文字をなぞるのは得意なようで、親が手伝わなくても全部書くようになりました(まだなぞるだけ)。
ペンや鉛筆を正しい持ち方で持たせるのに時間がかかりましたが(約1年)、一度持てるようになると、書きやすいのか、上手に書けるようになった気がします。
100まで数える
100まで数えられる(言える)ようになりました。まだ完璧ではないですが、最後は100に辿りつく、ということは理解しているらしいです(29から100になったりする)。保育園の送り迎えの車内とか、余裕がある時は、一緒に数えています。
月は分かっているらしい
今日は何月かはわかっているようです。日付は、まだまだ、曜日も当てずっぽう、という感じです。
北原白秋の「五十音」
うちの子は、文字を読むより丸暗記の子だ、ということで、どんどん覚えてもらうことにしました。リズムの良い文章は面白いらしく、何度も読んでもらいたがります。娘が何度も聞きたがるというのは、覚えようとしてる合図です(歌でもそうです)。一番のヒットは、北原白秋の「五十音」という詩です。「あめんぼ赤いなあいうえお…」という。これって演劇の発声練習のためのものかと思っていました…。
以前買っておいた、陰山先生の音読プリントが役に立ちました。「外郎売り」も載っているし、長く使いたいです。
最後に
渡米して間もなく1年になります。娘は日本語を優先して取り組んできていますが、やはり普段日本語を目にする機会が少ないのが心配です。中途半端に英語が混じっているのも心配です…。ただ、9月からはもっと英語環境にも慣れるために、現地のプリスクールにも通おうかと考えています。(今から入れるところがあるのか?)今後日本語がどうなっていくか、気長に観察していきます。