国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

かわいすぎる米パンパース ハローキティ柄全種類

米パンパースのパンツ型オムツに関しては、かわいすぎると過去一度投稿したことがあったのですが、

 

nicota-in-us.hatenablog.com

 

それ以後、また柄も変わったり、上のサイズまで全部ハローキティになったりしたので、誰が喜ぶかわかりませんが再び記事を書きたいと思います。

 

1歳になってオムツ替えにじっとしてくれなくなった次女に、少し早めですが2T-3Tのパンツ型オムツを試してみたところ、漏れもせず、ちょうどよかったのでパンツ型に切り替えました。

更に、もうすぐ4歳(!)の長女は、夜やお出かけの時はまだオムツをはきたがることもあるのですが、そろそろサイズアップかなと思い一つ上のサイズ4T-5Tを試しに買ってみたら、こちらもちょうどよかったです。しかも柄がお姉さん仕様でかわいい…!しばらくやめられそうにありません。

気づけば、2T-3T、3T-4T、4T-5Tと、販売中のキティ柄全種類が今我が家にある状態になったので、これも何かの縁かと思い、そのかわいい柄をご紹介してみたいと思います。

おしりを入れて広がらないと、図のかわいさがわからないので、おしりの代わりに風船を入れてみました。それぞれ2種類ずつ柄があり、上の写真が前、下が180度回転させた状態の後ろになります。

2T-3T

次女の手が入ってしまったけれど、そのまま掲載。オムツを履いた風船が気になって仕方ない子どもたちです。そりゃそうですよね。

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3T-4T

右側のカップケーキ柄がかわいすぎです。おしりにもミルクとカップケーキ。

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4T-5T

お姉さんらしくオシャレになってます。右の柄は、ピンクの細ベルトにネズミ(ジョーイという名前らしい)とキティちゃんのチャームが付いているデザイン。

後ろにはポケット(の柄)が付いています。

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右側のデザインがやはりかわいすぎるので、アップも撮りました。ピンクの細ベルトは金具が水色だったり、チャームは金のチェーンだったり、おしりのポケットにハート型のメガネ?サングラス?が入っていたり…オシャレ!オムツ履いてるのに!

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我が家はCostcoのオムツとパンパースを愛用しているので、他のをほとんど試していませんが、まず漏れないし、合っているのだと思います。

ハギースは確かディズニーのシンデレラなのですが、日本人としては何となくアメリカでのキティちゃんを応援したいと思います。

長女がSuzukiでバイオリンを始めました。その2

前回は、バイオリンを始めるに至った経緯で終わってしまったので、今回は実際に始めるまでを書いてみます。

 

先生との顔合わせ

時間は午後すぐなので、プリスクールのお迎えから直接教室まで行きます。プリは午前中なので、車の中でお昼ごはんを食べながら30分ほどの移動。しかしそれだと約束の時間には早く着いてしまいます。でも一度家に帰ると、またすぐ出ないといけないので効率悪い、微妙な時間…。

結局長女は車の中で昼寝に入ってしまい、ベビーカーで教室へ向かうもご機嫌ナナメ。あいさつどころか先生の顔も直接見られませんでした。

私も緊張したし、長女も何が何やら理解できていなかったのかもしれません。こういうとき、1歳になったばかりの次女は緩衝材というか、場を和ませてくれるので、ありがたい存在です。

私が「実は英語があまり話せなくて、すみません」と言う(言ったつもり)と、先生は、「メールでは全然わからなかったわよ〜」と言ってくれましたが…。

結構ご高齢?だと思うのですが、まったくそれを感じさせず、溌剌として超長身の女性の先生でした。ちょっと厳しそうな雰囲気かな?と思いましたが、ここはアメリカ。フレンドリーに楽しくレッスンをしてもらえそうでした。

「明日グループレッスンがあるけれど、見学する?」と言われて、願ったり叶ったり。これを見れば、長女はバイオリンをやる気になるに違いないと思っていたのです。長女は、バイオリンには自宅で触っていましたが、先生のところへ習いに行く、というのがまだ理解できていないようで、どういう風に練習したら弾けるようになるのか、どんなことをするのか、わからなくて不安で、行くのをちょっと嫌がっていました…。

 

グループレッスン見学

長女はこの日もベビーカーから降りられず。超警戒モードでした。

でも、時間になって子どもたちがたくさん教室に集まり、先生の号令で一斉に弾き出すのを目の当たりにして、かなり興味をひかれたようです。レッスン中から自分の楽器を弾きたいと言いだし、最後の方は出してちょっと弾いていました(笑)。娘の知っている曲があったのも、よかったようです。「きらきら星」だけでなく、「こぎつね」や「むすんでひらいて」など日本でもおなじみの童謡が練習曲になっています。

教室には16名ほどの子どもとその保護者が中にいたりいなかったり。1番小さい子は5歳とのことでした。上は小学校高学年くらいでしょうか。あまり大きくなると参加しなくなるのかな?と思いました。

私もすっかり忘れていたスズキのグループレッスンの流儀を、この日鮮やかに思い出しました。教本1巻の始めの曲「きらきら星変奏曲」から始まって、先生が指示した曲を次々とみんなで(ユニゾンで)弾いていきます(暗譜)。最初の方は全員弾けるのですが、そのうちまだ練習中とか習っていない曲になってくると、弾けない子は楽器を下に置いて座り他の人の演奏を聴くのです。

次第に立っている人が減っていき、最後はユーモレスクで二人になりました。この二人は音程も弾き方も抜きん出ていて、ビブラートもかけていたので、4巻以上に進んでいるのだと思います。興味深いのが、二人ともアジア系の男の子だったことです。アジア系はその子達だけでした。

グループレッスンの良いところは、自分が今後弾く曲を他の人が弾いているのを聴いてモチベーションを高めることができるところにあると思います。また、楽器を置いて座っているのは嫌なので、少しでも、たくさん曲を弾きたい!という気にもさせてくれます。

ただ、上手な人もそうでない人も一緒に弾くので、音程という面から見ると甘くなってしまいます。「これくらいでいいんだ」と思ってしまうとよくないかなと。

かく言う私自身も、昔は音程がメチャクチャ、というか、大学生になるまで音程の概念がほとんどなかったので、ある時期にうまく誘導してあげる必要があるのではないでしょうか。

 

トライアルレッスン

「試しにレッスンしてみるからおいで」と言われ、次の週に早速行きました。長女は、バイオリン自体はやる気になっているものの、まだ新しい先生や場所に慣れず、その日もベビーカーから降りられませんでした。

仕方がないので、母親の私が、子どもになったつもりで先生のレッスンを受け、その様子を見ていてもらいました。

家に帰ってからは素直に練習してくれました。これなら大丈夫かなと思い、先生に次のレッスンもお願いしました。

最初のうちは、週に2回レッスンすることをお勧めすると言われたので、その通りにやってみることにしました。子どもは柔軟なので、レッスン数が多いとその分進みが早いような気がします。というか、最初のうちは1回あたり10分ほどしかレッスンしない(年齢的にできない)ので、週1回だとほとんど進まないのです。

 

本格的にレッスン開始

年間の会費45$を払い、正式に入会。

スズキの教本1巻と、スズキ教育の心得をまとめた?本をもらいました。本の方はけっこうしっかりボリュームがあるので、ちゃんと読まないといけません…。まだパラパラと見ただけです…。

レッスンの最後にロリポップをもらってご機嫌。今まで食べさせたことがなかったのですが、ごほうびに特別ということで、あげました。帰りの車で無言で舐めていました。

 

親の宿題

それがこの本です。最近日本語の本でさえまともに読んでいないのに…!(リーフレットとかじゃなくて)ちゃんとした本じゃん、と夫も驚いていました。

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週2回、往復1時間

最初のうちだけとはいえ、平日、週に2回、往復1時間運転するのはかなり骨が折れます。実際、11時半にプリスクールのお迎えに出てから、帰宅するのが午後3時を過ぎるので、その日は外へ遊びに行ったりはできないのが現実です。親の自分が疲れてしまって…。プリでお外遊びをしているからいいのかな、とは思いますが。早く週1回にならないかな、と思っています。家での家事をする時間が減って、洗濯物がたためません…。

でも、たまに私も楽器を出して、一緒に練習するのはとても楽しいし、私の精神衛生上も良いように思います。

長女がSuzukiでバイオリンを始めました。その1

なぜバイオリンなのか?

最初は自分語りです、すみません。私にはささやかな夢があります。それは、娘が演奏するオケでブラームス交響曲4番を聴くことです。ただ単にこの曲(ブラ4)が好きなだけなのですが。「交響曲」というのはやっかいで、オーケストラでないと演奏できません。一人では演奏できないのです。

実は私は、3歳から11歳くらいまで、バイオリンを習っていました。物心ついた時にはもう始めていて、姉もやっていたし、そういうものだと思っていました。当時は親に勝手に連れて行かれるだけで、全く自主性もなく、特に楽しかったような記憶もありません。親も、「上手になって欲しいとかは望んでいないから、続けることに意味がある」と言って私に続けさせました(もうちょっとましなことを言って欲しかった)。中学に入るまでにはやめてしまったのですが、音楽は好きだったので、中学の部活ではブラスバンドに入りました(打楽器を担当しました)。

大学生になってから、なぜだか再びバイオリンをやってみようと思い立ちました。この時期、自分の中のコンプレックスと、一つひとつ向き合おうとしていたと思います。勉強のことや、容姿のことなど、それまでの自分にケリをつけていこうとしていました。その中で、心のどこかに引っかかっていた、バイオリンという存在。幼少期の8年間も費やしたのに、全く浮かばれることのなかったその経験と、せっかく習っていたのに全く楽しくなかった幼少期の自分を、思い出の中から救い出したいという気持ちをずっと抱えてきて、これを機会にと学生オーケストラに入りました。初心者同然でしたが、ここでセカンドバイオリンを経験しました。4年間でかなり鍛えられました。この経験が実に良かったのです。オーケストラは社会の縮図なんです。そこで、人、組織、人間関係を学びながら、感性も磨けます。何より、自分だけでなく、多種多様な人と楽器で音楽を奏でるって、こんなに楽しいことなのだと初めて知ったのです(中学生のブラバンでは感じられなかった何かがありました)。あと、それまでイマイチ、クラシックの曲が好きになれなかったのですが、それはどうも室内楽的な音楽だったようで、オーケストラの曲は面白くてカッコイイ曲が多いということにも気付きました。(ちなみに最初の見学の時に先輩方が練習していたのが「春の祭典」で、もうこれで全て心を持っていかれました)

オケって、カッコイイんです!できれば、娘にも一度は経験させてみたい、と思うようになりました。

どうせオケなら、実家に私のバイオリンがあるし、習わせてみようかな、と娘が生まれる前から勝手に思っていました。別に、娘が他の楽器をやりたいと言い出したら変えてもいいと思っています。

 

アメリカでもスズキ?

日本にいたら、何の迷いもなく娘が3歳になったら「鈴木メソッド」の教室に申し込んでいたと思います。私自身、鈴木で始めたので、それ以外の選択肢を考えていませんでした。親によると、私はスズキの先生のところへは楽しんで通っていたそうなのです。ところが、9歳くらいの時に先生を変えてから様子が変わったそうです。私も、二人目の先生はよく覚えています。その方は先生としては素晴らしかったのだと思いますが、私には合っていなかったのでしょう。今考えれば当然のことばかりをされていましたが、当時の私にとっては、とても厳しい先生でした。

そしてやって来た、突然の渡米。アメリカでの生活が始まってしまい、娘のバイオリンのことはしばらく考えられませんでした。

娘が1歳9ヶ月で渡米して、3歳を迎えた頃、やはりバイオリンを習わせてみたいと思うようになりました。自分の楽器も苦労して持ってきていたのですが、単純に、娘と一緒に弾けたら楽しいだろうなと思ったのです。それに娘は、1歳の頃から歌うのが大好きで、親バカフィルターがかかっているにしても、とても音程が良く、「子どもってこんなに上手に歌えるものなんだ!」とびっくりしたのです。音楽が好きなら、何とか伸ばしてあげたいという思いもありました。音楽は言葉の壁も越えますしね。

夫に「バイオリンを習わせてみたい」と相談すると、「英語の先生ならいいよ」との返答。日本人ではなくて、現地の子を相手に教えている現地の先生になら、習わせてもいいということでした。夫はそういう風に私を鍛える方向へ持って行ってくれるんです、ありがたいことに。。。

迷いに迷いました。実は日本人の、鈴木メソッドで教えている先生が、隣の市にいるのです。私は英語でのコミュニケーションにはまだまだ自信がないし、ましてや音楽のこととなると全くわかりません。どうせなら一から勉強するか…。

意を決して英語のサイトを調べてみると、何と、市内にも現地の鈴木メソッド研究所?教室?がいくつかあるようでした(公文式KUMONよりは教室数は断然少ないですが、これも世界に広がる日本式教育なんですね)。先生達の経歴を見て、鈴木慎一氏に直接指導を受けたと書いてある先生にメールを出してみました。私の方も、娘が現地のプリスクールへ通い始めたのをきっかけに、少し度胸がついてきたようです。

 それからトントン拍子に?話は進み、試しに先生に会いに行ってみることになりました。

 

 

長くなってきたので、その2に続きます

 

次回予告↓

先生との顔合わせ

グループレッスン見学

トライアルレッスン

本格的にレッスン開始

親の宿題

週2回、往復1時間

 

おまけ

私の考える、スズキメソッドの長所と短所

長所

  1. 手法が確立している
  2. 耳や集中力が育つ
  3. 個人レッスンとは別にあるグループレッスンでモチベーションアップ

短所

  1. 譜読みが弱くなる傾向有
  2. 音程が弱い傾向有

このへん詳述したいところですが、また書く機会があると思います。

 

米国出産体験記4 入院3日目〜緊急帝王切開編〜

出産体験記が全く進まないので、全部書くのは諦めて、ひとまず書き上げた部分のみ公開することにします。0時から5時くらいまでの怒涛の5時間です。

 

出産のための入院も3日目に突入し、この日、ついに生まれます。

 

0:00 いきみを休止

陣痛の合間にぐったりと身体を休め、ほとんど寝ながら陣痛がくるといきんでいましたが、日付が変わる頃、「いきむのをやめてみましょう」と言われました。

正直いって、いきまないと陣痛が辛かったのですが、前々日からの疲労もピークに達していたので、体力回復のためなのかな、と思ってなるべく休んでいました。

 

1:00 緊急帝王切開を告げられる

いきむのをやめて1時間ほど経った頃、医師がやって来ました。言われたことは、ざっと以下の通りです。

「あなたは今までよく頑張ったわ。でも、あなたがいきむ(push)と赤ちゃんの心音が低下し、やめるとまた、回復するのを繰り返していたので、やめて様子を見ていました。今、あなたは熱が高くなってきて感染症にかかり始めています。破水してから時間も経っていて、分娩が長引くと赤ちゃんも感染症にかかる可能性が高まります。赤ちゃんがまだ元気なうちに、取り出した方が良いでしょう。帝王切開を勧めますが、どうしますか?」

私は、これを聞いた時に愕然として、涙があふれてきてしまいました。わんわん泣いたと思います。もう何から手をつけていいのかわからない精神状態でした。少し時間を下さい、と言って、夫と話し合いました。

私がなぜ悲しかったのかというと、まず一つ目は、これまでの努力というか、忍耐と、それを支えてくれた人達の全ての苦労がまったく無駄になってしまった気がしたからです。ほぼ丸二日間、自分でこの子を産むんだ、ということを夢見て耐えてきたものが無駄であり、お世話になった医師、麻酔科医、助産師、通訳さん…達に申し訳ないという気持ちになったのです。二つ目は、大事な分娩をほとんど寝ながらダラダラやってしまったからなんじゃないかと、もっともっと頑張らないといけなかったんじゃないかと、自分を責めてしまったからです。

結論を出す前に、そういう私の気持ちを、医師に伝えました。すると、医師はこう言ってくれました。

「あなたのやったことは無駄ではないのよ。赤ちゃんが出て来られるかどうかは、全開になってみないとわからないの。あなたは十分頑張ったし、いきみも十分な強さだった。ただ、あなたが頑張ると赤ちゃんが弱ってしまっていたの。何らかの理由で出て来られなくなっているから、これ以上は頑張らない方がいいと思うわ。」

こういう場合、日本では有無を言わさず緊急帝王切開だったのではないでしょうか。でも、医師が「あなたはどうしたい?」ときいてくれるのがアメリカらしいなと思いました。

帝王切開をすることにしました。

 

2:30 緊急帝王切開

準備ができるまで少し部屋で待ったと思いますが、思ったよりも早くオペの時間がやってきました。

 

優しい助産師さん

最後の担当だった助産師さんは、まだ陣痛に耐えていた時にも一度担当してくれて、若いのだけれど本当に優しくて天使のような人でした。

 

3:00 手術、出産

ふたたびエピドゥラルが注入され、下半身の感覚が無くポカポカと暖かくなってきました。その上、二日間の寝不足もあったので、横になるといつでも意識を失いそうでした。

ほとんど目も開けていられなかったので、あまり覚えていないのですが、この手術の感想は、とにかく手際が良い、の一言に尽きます。誰もが適度にリラックスして、まるでカフェでお茶でもしているかのようにいつの間にか始まり、気付いたら生まれていました。日本で帝王切開した時も早いなあと思ったのですが(15分)、今回は緊急だったこともあるのでしょうか、10分かかっていないと思います。

 

仮死状態!

しかし、次女が生まれてから、現場の空気は一変します。何やら緊張感が漂い、慌ただしい雰囲気です。通訳さんが冷静にこう言いました。「息をしていません」

私はほとんど開けても焦点が合わない目を無理やり開けて、部屋の隅に運ばれていく娘を見ようとしました。今でも焼き付いているのは、小さな青白い身体が両手を大きく広げ、硬直してぴくりとも動かない後ろ姿です。それ以降、自分の記憶はあまりありません。ただ、漫画「コウノドリ」を読みすぎていたせいで、「またまた、どうせ大丈夫なんでしょ〜」と、妙に楽観的だったのを覚えています。

夫は生きた心地がしなかったそうです。だめだったか、と思ったと言っていました。このときの印象的だった出来事を、後から教えてくれました。オペ室には緊急用レバーがあって、看護師の一人がそれを引こうかどうしようか迷っていたそうです。するとすぐにもう一人(医師?)が、「早く引け引け!」と言って、レバーが引かれました。すると、扉が開き、ドヤドヤと人がたくさん出てきた(夫談)そうです。それまでも部屋にはたくさん医師や看護師がいたのですが、こんなにたくさん待機していた人がいたんだ、とびっくりしたそうです。なんか、ドラマみたいですね。全然覚えてないのですが。

その後、夫は次女について行くとのことで、外は出て行き、私は産後の処置を受けました。

また夫の話ですが、いつかは定かではないものの、夫が部屋を出た時は娘は息を吹き返していたそうで、移動中の廊下はお祭り騒ぎをしながら医師や看護師がものすごいスピードで走っていて、自分はついて行くのに必死だったとのことです。アメリカを感じるエピソードです。

 

5:30 産後の部屋に移動、通訳さんとお別れ

詳細は割愛

 

14:00 長女が初対面

詳細は割愛!!

 

この後もドラマがありすぎて、ちょっと私の力量では文章にしきれませんでした…。気が向いたら書くことがあるかもしれません。

 

長々とありがとうございました。

生まれた時には息をしていなかった子が、無事一歳になりました。感謝しかないです。

 

 

お久しぶりです

気がついたら年が明け、3月も半ばになっており、ただただびっくりしています。

昨年末以来全くブログの更新ができていませんでしたが、一応元気に生きています。

次女の出産体験を書いていましたが、そうこうしているうちにもうすぐ一歳になろうとしています…早すぎる!!誕生日を迎えるまでには、ブログでも出産したいと願っています。

昨年末の一時帰国から戻って以来、何があったかというと、一軒家に引越し、住む地域も娘のプリスクールも変わり、新しい友達づくりや日本語環境作りに励んだり、家の片付けをしたりしていました。それなりに充実していたのですが、ブログで皆さんと分かち合いたいことだらけなのに、全く記事を書けないのが苦しかったです。

次女もだいぶひとりで遊ぶようになってきて、そろそろまた記事が書けるようになってきたかな、と思っています。2018年もよろしくおねがい致します。

 

にこた

米国出産体験記3 入院2日目 〜無痛分娩編〜

2:00 お風呂に浸かる


子どもが寝静まってしばらくした頃、助産師さんに勧められて、お風呂に浸かることにしました。この時は確か、つけていた管が全部外されて、解放感を味わえたと思います。何よりも独りになれる空間がありがたかったです。何かあってはいけないので、ドアは開けっ放しでしたが。
朝からずっと初対面の人と接してばかりで、気疲れもしていたのだと思います。
ずっと浸かっていたかったけれど、1時間ほどで出ることになりました。

 

子宮口3cm

ここまで陣痛も強くなってきたし、かなり進んできたのではないかと思ったのですが、あまり進んでいませんでした。正直、マジで!?という思いでした。

 

点滴の麻酔×3

 陣痛を若干和らげる点滴を、一度の分娩につき3回まで使用できる、と言われていました。一回使うと1〜2時間もつそうです。3:00頃から9:00頃までの間に、断続的に使用することにしました。これをすることで、多少頭がぼーっとして、陣痛の合間にうとうとすることができましたが、ほとんど寝ていない状態で朝を迎えました。

 

5:00 通訳さん交代

通訳さんは、最長で連続して12時間しか働けないらしく、一人目の通訳さんがここで交代します。前日の夕方から、早朝まで、本当にお世話になりました。

二人目の通訳さんは、かなり高齢な感じでした。正直、通訳としてはあまり頼れなかったのですが、何ともいえない優しい雰囲気を持っていらして、長女が「おばあちゃん^_^」と、なついていて、本当のおばあちゃん(実母)が到着するまで、助かりました。

 

子宮口6cm

おそらく陣痛促進剤の量も徐々に増えていたと思います。朝方、ようやく子宮口が6cmになりました。しかし、点滴の麻酔をすでに使い切ってしまっていて(といってもかなり痛い)、これ以上の痛みに耐える自信がありませんでした。夫も、もういいんじゃない?という感じでしたし、何よりもとより自然分娩にはそれほど肯定的ではなかったのは知っていました。

私が自然分娩を希望したのは、陣痛とはどれだけ痛いものなのか、どんな痛みなのかを経験してみたかったからでした。結果…よくわかりました!!

陣痛は、生理痛とも、前駆陣痛とも全く違いました。下痢の痛みとも全く違うと思いました。私が感じたのは、膀胱の痛みに近いのではないかと思います。実際になったことはないのですが、膀胱炎のような痛み。小をすごく我慢した後、用を足すと痛い時がありますよね?(え、ありませんか?)その痛みを100倍にしたくらいの痛み、だと私は感じました。

 

9:00 エピドゥラル(無痛分娩)を決意

前日の破水から24時間が経過しました。区切りが良く、もう十分頑張ったと自分で思えたので、エピドゥラルを使用(無痛分娩)することにしました。これによって、体力が温存でき、全開になった後の出産に全力を注ぐことができます。ちなみに、子宮口が全開になった後には、使用することができないそうです。

 

10:00 麻酔科医到着

確か1時間ほどで、麻酔科医(達)が入ってきました。3人くらいいて、一人目の男性がおそらく一番偉い?人みたいなのですが、コテコテのアメリカ人。自己紹介したかと思うと、「昨日自分でケーキを焼いてきたんだよ、バースデーケーキ!あ、でもまだ食べちゃダメだよ。赤ちゃんが生まれてから食べてね。だってバースデーケーキだから!ワッハハハ!!」と超ハイテンションで手のひらサイズの丸いカップケーキを手渡してくれました。なんか、コテコテの紫色のクリームでデコレーションがしてあって、赤い文字で「Happy Birthday!」と書かれていました。

もう一人がインド系のすごい美女で、おそらく研修医のようでした。この人が実際に私の背中に針を入れたのですが、横からさっきの男性医師が、「いいぞいいぞ!うまい!よくやった!」みたいに、松岡修造ばりの掛け声をかけていて、なんか逆に心配になりました。

私が、以前帝王切開をしていて、今回VBAC(ヴィーバックで通じます)をしようとしていることを知ると、その男性医師は「ヒュ〜!VBACなの!?イェーイ!」みたいなノリで何だか嬉しそうでした。まあ、特に意味が無くても、善いアメリカ人というのはこういうものなのかもしれないな、と良い経験になりました。

 

これが無痛分娩!

エピドゥラルを入れると、下半身が動かせなくなって、食事も摂ることができません。しかし、こんなに素晴らしいものだとは思いませんでした。陣痛がきているのは分かるのですが、先ほどのような痛みを感じません!全く痛くないというわけではなく、陣痛の間焼けるようにジンジンするのが分かります。でも、リラックスして談笑することができるのです。長女と話すこともできて一安心でした。

この日、実母がアメリカへ到着する日だったのですが、ちょっとドタバタしたので、冷静に話ができる状態でいられてよかったです。

 

15:00 実母到着

この日、昼ごろに空港から一度母から電話が入ったのを最後に、3時間母が行方不明になってしまいました。結局病院のロビーで夫と行き違いになっていただけだったので、会えた時にはほっと一安心でした。

 

赤ちゃんの顔の向き

内診の結果、赤ちゃんが通常と反対を向いていると言われました。赤ちゃんは、母親とは反対(つまり下)を向いているのが理想なのですが、うちの子は上を向いているというのです。医師が、中で回転させてみるというのでチャレンジしてみましたが、本当に中に手を入れて、赤ちゃんの頭をつかんで回そうとしていました!結局うまくいかず、「赤ちゃんはこっち向きが良いみたい」と笑っていました。これがけっこう痛くて、エピを入れてなかったら失神しそうなくらい痛かったんじゃないかなと思います。

 

17:00 二人目の通訳さんとのお別れ

ここで、二人目の通訳さんともお別れです。次の通訳さんは、すこし経たないと来られないとのことで、何かあったら夫が通訳してくれました。

 

18:00 長女は実母とホテルに宿泊

部屋でみんなで(私以外)夕食を摂って、母と長女はホテルへ行くことになりました。長女は母親がいない状態で寝泊まりするのは、初めてです。でも、おばあちゃん大好きだし、明るくて面倒見の良い母に、長女はすぐになついていたので大丈夫かなと思いました。(後で時々長女自身がこの時の心境を語ってくれるようになるのですが、もう涙無しには聴けない話でした)

今晩はホテルに泊まるよ、と言うと、長女は嬉しそうに母と病院を後にしました。

 

21:00 三人目の通訳さん到着

 確か、三人目の通訳さんの到着とほぼ同時に、分娩がスタートしました。

三人目の通訳さんは、アメリカでの初めての妊婦健診でお世話になった方であり、産院ツアーにも来てくださった方で、私としてはかなり嬉しかったです。しかも実母にちょっと顔が似ているんです。あいさつもそこそこに、分娩がスタートしました。

 

全開!

全開です、これからいきみ(push)ましょう、となりました。今日中には生まれるでしょう、と言われ、テンションが一気に上がります。正直、ここは未知の領域なので、助産師さんの言うなりになってやるしかないと腹をくくりました。日米の違いはよく分からないのですが、私が言われたやり方は以下の通りです。

助産師さんが、計器を見ながら陣痛が来るタイミングで声をかけます。「1、2、3」で息を吸って、その後10数える間は息を止めて思いっきりいきみます(Push! Push! Push!〜と連呼される)。その時、手でひざの裏をしっかりつかみます。

この頃には、エピドゥラルはすっかり切れていて、足も普通に動かせるし、陣痛も普通に感じましたが、それくらいの方が力が入って分娩しやすいからということで、追加されませんでした。本当にいきんでいる間は陣痛の痛みが無かったので、話にはきいていたけれど、びっくりでした。

 

出てこない!

疲労困憊の夫はうとうとしていたのですが、分娩が始まるとさすがに起きて、これまでにないくらい応援してくれました。彼もこの瞬間を待っていたのです。しかし、1時間、2時間と経つともうフラフラしてきていたので、これは引導を渡してやらないといけないと思い、「寝てていいよ」とそっと伝えました。夫は「すまない」と言っていたと思います。

 かくいう私も、前日からの疲労が大きく、次の陣痛が来るまでは寝ているような状態でした。そうして分娩も3時間が経過し、2日目が終了します…。生まれなかった…。

 

3日目に続きます。

米国出産体験記2 入院1日目 〜自然分娩編〜

今さらですが、実家で時間があるうちに、アメリカでの出産体験記を書いておきます。もう8ヶ月も前のこととは…。

朝の破水、入院から始まり、陣痛、手術、出産、退院までの全5日間を、5回に分けて書く予定です。時間はだいたいです。

二人目出産ですが、一人目は日本で管理入院の末に予定帝王切開だったので、陣痛は初体験でした。

 

am 9:00 破水

この出産入院する、ちょうど一週間前に、前駆陣痛にてフライング入院して、家に帰されていました。その日の少し前から、深夜2時頃になると10分間隔で強く張るようになっていました。毎日毎晩、きたかな?きたかな?とハラハラしながら過ごしていましたが、朝になるとおさまる、の繰り返しでした。

その日も、朝になっておさまってきたかなと思ったのですが、夫と話して、念のため安静にしておこうと横になり、伸びをした、その瞬間。ビィン!!と自分の中で何かが弾けたような衝撃を感じ、一瞬強い張りを感じたのです。

破水かな?と思ったものの、想像していたようにドバッと羊水は出てきません。とりあえずトイレへ行ってナプキンを当てると、立ち上がる瞬間にじわっと出てくる感覚が…。これは破水ではないかと思い、夫に病院へ連絡してもらいました。夫がいる時間で助かりました。

用意していた入院グッズを持って、車の座席にペット用の防水吸水シートを何枚も敷いて、長女も一緒に車で産院へ向かいました。幸い、体を縦にしていればほとんど羊水は出てきませんでした。

 

トリアージで3時間ほど過ごす

産院に着いたら、Triageと呼ばれる部屋で 計器を着けたり、点滴用の針を入れられたりしながら、しばらく過ごしました。産院へ着いたばかりの時は、「これって破水ですかねー?」というノリでしたが、座っているうちにけっこう出てきて、「これは間違いないわね」と助産師さんに言われました。3時間くらい過ごしたと思うのですが、長女は緊張していたらしく、あまり騒がずにおとなしくしていました。

 

実母の到着は明日の昼ごろ

実母は、翌日の昼ごろの便で到着する予定でした。チケットを取った時は、予定日1週間前で早すぎるかなと思っていたのですが、この調子では間に合わないかなと思い始めました。今日中に出産になるかな、なんて考えていました。

出産後の部屋は子どもは泊まれないので、今晩は夫と子どもは帰宅することになりそうでした。

 

 14:00 出産する部屋へ移動

部屋は完全個室で、助産師さんも一人基本的に常時ついていてくれます。助産師さんは、6時間交代でした。

陣痛が強くなるまで放っておかれるものかと思っていたら、なにかと話しかけてくれたり、腰を押してくれる人もいました。でも、英語が全然できないので、私の方が気疲れしてしまいました。夫は長女の世話もしないといけないので、話を常に聞けるわけではないし…。

お腹が空いたので、昼食をオーダー。メニューから選び放題で、料金は入院費に含まれていたと思います。

陣痛も5分間隔で強くなってきて、食べるのもままならなくなってきましたが、執念で食べました。

痛みが強い時は、腰を強く押してもらうと確かに楽になりました。これを、夫にやってもらっていたのですが、1〜2時間くらいでギブアップ。というか、もう大変だからいいよ、と忖度(笑)して、自分でツボ押し棒で耐えしのいでいました。

 

羊水を注入

破水しているということで、羊水(の代わりのおそらく生理食塩水)を下から管を入れて注入することになりました。この管は、常時水で子宮を満たすために、付けっ放しになります。

 

17:00 通訳さん登場

 ようやく、通訳さん登場。同じ産院で出産された経験がある方だったので、いろいろ教えてもらえて、頼りになるお姉様的なステキな方でした。一安心。

 

陣痛促進剤

けっこう痛みも増してきたし、子宮口が開いてきているのではないかと思ったのですが、内診の結果、2〜3センチ。朝からほとんど変わっていませんでした。

陣痛促進剤を点滴することになりましたが、痛みが増しますよ、と何度も言われ、けっこうドキドキしました。後で気づいたのですが、アメリカは日本に比べてこの「痛み」に対する感性が違うのではないかと思います。これについては後でまた書く機会があると思います。

 

羊水を足しながら陣痛を耐える苦しさ

 促進剤によって、確かに陣痛は増してきました。普通なら、ここで動き回ったり、ロッキンチェアやバランスボールに乗ったりして痛みを逃しつつお産を進めるのだと思います。助産師さんも、私に動くことを勧めてきました。しかし、私には下から管が入っていて、立ち上がって動くたびに水がびちゃびちゃ出てきます。これは想像を絶する不快な状態でした。できれば動きたくないのです!点滴も繋がれてるし。

トイレへ行かないといけない時は仕方なく動いたのですが、トイレから立ち上がる頃には必ず陣痛がやって来て、それがもう辛くて仕方がなかったです。

 

長女と夫は同室で就寝

 長女はなかなか寝付かれなかったのですが、夫と共に夜11時頃、同じ部屋のソファで寝ました。長女には、明日おばあちゃんが日本から来るよ、と言ってあって、それを楽しみにしているようでしたし、私たちもそれが頼りでした。

長女は、母親がベッドの上から動けないのを見て、こりゃもうだめだと思ったのか、あまり近寄ろうとしませんでした。代わりに夫や通訳さんに甘えていました。

文章からは存在感の見えない夫ですが、朝からの緊張状態と長女の相手で疲労困憊だったと思います。

  

ここで1日が終了です。

2日目に続きます…。