国語の教員でしたが、アメリカで子育てをして、日本に帰国しました。

高校の国語科教員を退職し、長女が1歳の時に渡米し、2022年に帰国しました。3人目も無事出産しました。

お久しぶりです

気がついたら年が明け、3月も半ばになっており、ただただびっくりしています。

昨年末以来全くブログの更新ができていませんでしたが、一応元気に生きています。

次女の出産体験を書いていましたが、そうこうしているうちにもうすぐ一歳になろうとしています…早すぎる!!誕生日を迎えるまでには、ブログでも出産したいと願っています。

昨年末の一時帰国から戻って以来、何があったかというと、一軒家に引越し、住む地域も娘のプリスクールも変わり、新しい友達づくりや日本語環境作りに励んだり、家の片付けをしたりしていました。それなりに充実していたのですが、ブログで皆さんと分かち合いたいことだらけなのに、全く記事を書けないのが苦しかったです。

次女もだいぶひとりで遊ぶようになってきて、そろそろまた記事が書けるようになってきたかな、と思っています。2018年もよろしくおねがい致します。

 

にこた

米国出産体験記3 入院2日目 〜無痛分娩編〜

2:00 お風呂に浸かる


子どもが寝静まってしばらくした頃、助産師さんに勧められて、お風呂に浸かることにしました。この時は確か、つけていた管が全部外されて、解放感を味わえたと思います。何よりも独りになれる空間がありがたかったです。何かあってはいけないので、ドアは開けっ放しでしたが。
朝からずっと初対面の人と接してばかりで、気疲れもしていたのだと思います。
ずっと浸かっていたかったけれど、1時間ほどで出ることになりました。

 

子宮口3cm

ここまで陣痛も強くなってきたし、かなり進んできたのではないかと思ったのですが、あまり進んでいませんでした。正直、マジで!?という思いでした。

 

点滴の麻酔×3

 陣痛を若干和らげる点滴を、一度の分娩につき3回まで使用できる、と言われていました。一回使うと1〜2時間もつそうです。3:00頃から9:00頃までの間に、断続的に使用することにしました。これをすることで、多少頭がぼーっとして、陣痛の合間にうとうとすることができましたが、ほとんど寝ていない状態で朝を迎えました。

 

5:00 通訳さん交代

通訳さんは、最長で連続して12時間しか働けないらしく、一人目の通訳さんがここで交代します。前日の夕方から、早朝まで、本当にお世話になりました。

二人目の通訳さんは、かなり高齢な感じでした。正直、通訳としてはあまり頼れなかったのですが、何ともいえない優しい雰囲気を持っていらして、長女が「おばあちゃん^_^」と、なついていて、本当のおばあちゃん(実母)が到着するまで、助かりました。

 

子宮口6cm

おそらく陣痛促進剤の量も徐々に増えていたと思います。朝方、ようやく子宮口が6cmになりました。しかし、点滴の麻酔をすでに使い切ってしまっていて(といってもかなり痛い)、これ以上の痛みに耐える自信がありませんでした。夫も、もういいんじゃない?という感じでしたし、何よりもとより自然分娩にはそれほど肯定的ではなかったのは知っていました。

私が自然分娩を希望したのは、陣痛とはどれだけ痛いものなのか、どんな痛みなのかを経験してみたかったからでした。結果…よくわかりました!!

陣痛は、生理痛とも、前駆陣痛とも全く違いました。下痢の痛みとも全く違うと思いました。私が感じたのは、膀胱の痛みに近いのではないかと思います。実際になったことはないのですが、膀胱炎のような痛み。小をすごく我慢した後、用を足すと痛い時がありますよね?(え、ありませんか?)その痛みを100倍にしたくらいの痛み、だと私は感じました。

 

9:00 エピドゥラル(無痛分娩)を決意

前日の破水から24時間が経過しました。区切りが良く、もう十分頑張ったと自分で思えたので、エピドゥラルを使用(無痛分娩)することにしました。これによって、体力が温存でき、全開になった後の出産に全力を注ぐことができます。ちなみに、子宮口が全開になった後には、使用することができないそうです。

 

10:00 麻酔科医到着

確か1時間ほどで、麻酔科医(達)が入ってきました。3人くらいいて、一人目の男性がおそらく一番偉い?人みたいなのですが、コテコテのアメリカ人。自己紹介したかと思うと、「昨日自分でケーキを焼いてきたんだよ、バースデーケーキ!あ、でもまだ食べちゃダメだよ。赤ちゃんが生まれてから食べてね。だってバースデーケーキだから!ワッハハハ!!」と超ハイテンションで手のひらサイズの丸いカップケーキを手渡してくれました。なんか、コテコテの紫色のクリームでデコレーションがしてあって、赤い文字で「Happy Birthday!」と書かれていました。

もう一人がインド系のすごい美女で、おそらく研修医のようでした。この人が実際に私の背中に針を入れたのですが、横からさっきの男性医師が、「いいぞいいぞ!うまい!よくやった!」みたいに、松岡修造ばりの掛け声をかけていて、なんか逆に心配になりました。

私が、以前帝王切開をしていて、今回VBAC(ヴィーバックで通じます)をしようとしていることを知ると、その男性医師は「ヒュ〜!VBACなの!?イェーイ!」みたいなノリで何だか嬉しそうでした。まあ、特に意味が無くても、善いアメリカ人というのはこういうものなのかもしれないな、と良い経験になりました。

 

これが無痛分娩!

エピドゥラルを入れると、下半身が動かせなくなって、食事も摂ることができません。しかし、こんなに素晴らしいものだとは思いませんでした。陣痛がきているのは分かるのですが、先ほどのような痛みを感じません!全く痛くないというわけではなく、陣痛の間焼けるようにジンジンするのが分かります。でも、リラックスして談笑することができるのです。長女と話すこともできて一安心でした。

この日、実母がアメリカへ到着する日だったのですが、ちょっとドタバタしたので、冷静に話ができる状態でいられてよかったです。

 

15:00 実母到着

この日、昼ごろに空港から一度母から電話が入ったのを最後に、3時間母が行方不明になってしまいました。結局病院のロビーで夫と行き違いになっていただけだったので、会えた時にはほっと一安心でした。

 

赤ちゃんの顔の向き

内診の結果、赤ちゃんが通常と反対を向いていると言われました。赤ちゃんは、母親とは反対(つまり下)を向いているのが理想なのですが、うちの子は上を向いているというのです。医師が、中で回転させてみるというのでチャレンジしてみましたが、本当に中に手を入れて、赤ちゃんの頭をつかんで回そうとしていました!結局うまくいかず、「赤ちゃんはこっち向きが良いみたい」と笑っていました。これがけっこう痛くて、エピを入れてなかったら失神しそうなくらい痛かったんじゃないかなと思います。

 

17:00 二人目の通訳さんとのお別れ

ここで、二人目の通訳さんともお別れです。次の通訳さんは、すこし経たないと来られないとのことで、何かあったら夫が通訳してくれました。

 

18:00 長女は実母とホテルに宿泊

部屋でみんなで(私以外)夕食を摂って、母と長女はホテルへ行くことになりました。長女は母親がいない状態で寝泊まりするのは、初めてです。でも、おばあちゃん大好きだし、明るくて面倒見の良い母に、長女はすぐになついていたので大丈夫かなと思いました。(後で時々長女自身がこの時の心境を語ってくれるようになるのですが、もう涙無しには聴けない話でした)

今晩はホテルに泊まるよ、と言うと、長女は嬉しそうに母と病院を後にしました。

 

21:00 三人目の通訳さん到着

 確か、三人目の通訳さんの到着とほぼ同時に、分娩がスタートしました。

三人目の通訳さんは、アメリカでの初めての妊婦健診でお世話になった方であり、産院ツアーにも来てくださった方で、私としてはかなり嬉しかったです。しかも実母にちょっと顔が似ているんです。あいさつもそこそこに、分娩がスタートしました。

 

全開!

全開です、これからいきみ(push)ましょう、となりました。今日中には生まれるでしょう、と言われ、テンションが一気に上がります。正直、ここは未知の領域なので、助産師さんの言うなりになってやるしかないと腹をくくりました。日米の違いはよく分からないのですが、私が言われたやり方は以下の通りです。

助産師さんが、計器を見ながら陣痛が来るタイミングで声をかけます。「1、2、3」で息を吸って、その後10数える間は息を止めて思いっきりいきみます(Push! Push! Push!〜と連呼される)。その時、手でひざの裏をしっかりつかみます。

この頃には、エピドゥラルはすっかり切れていて、足も普通に動かせるし、陣痛も普通に感じましたが、それくらいの方が力が入って分娩しやすいからということで、追加されませんでした。本当にいきんでいる間は陣痛の痛みが無かったので、話にはきいていたけれど、びっくりでした。

 

出てこない!

疲労困憊の夫はうとうとしていたのですが、分娩が始まるとさすがに起きて、これまでにないくらい応援してくれました。彼もこの瞬間を待っていたのです。しかし、1時間、2時間と経つともうフラフラしてきていたので、これは引導を渡してやらないといけないと思い、「寝てていいよ」とそっと伝えました。夫は「すまない」と言っていたと思います。

 かくいう私も、前日からの疲労が大きく、次の陣痛が来るまでは寝ているような状態でした。そうして分娩も3時間が経過し、2日目が終了します…。生まれなかった…。

 

3日目に続きます。

米国出産体験記2 入院1日目 〜自然分娩編〜

今さらですが、実家で時間があるうちに、アメリカでの出産体験記を書いておきます。もう8ヶ月も前のこととは…。

朝の破水、入院から始まり、陣痛、手術、出産、退院までの全5日間を、5回に分けて書く予定です。時間はだいたいです。

二人目出産ですが、一人目は日本で管理入院の末に予定帝王切開だったので、陣痛は初体験でした。

 

am 9:00 破水

この出産入院する、ちょうど一週間前に、前駆陣痛にてフライング入院して、家に帰されていました。その日の少し前から、深夜2時頃になると10分間隔で強く張るようになっていました。毎日毎晩、きたかな?きたかな?とハラハラしながら過ごしていましたが、朝になるとおさまる、の繰り返しでした。

その日も、朝になっておさまってきたかなと思ったのですが、夫と話して、念のため安静にしておこうと横になり、伸びをした、その瞬間。ビィン!!と自分の中で何かが弾けたような衝撃を感じ、一瞬強い張りを感じたのです。

破水かな?と思ったものの、想像していたようにドバッと羊水は出てきません。とりあえずトイレへ行ってナプキンを当てると、立ち上がる瞬間にじわっと出てくる感覚が…。これは破水ではないかと思い、夫に病院へ連絡してもらいました。夫がいる時間で助かりました。

用意していた入院グッズを持って、車の座席にペット用の防水吸水シートを何枚も敷いて、長女も一緒に車で産院へ向かいました。幸い、体を縦にしていればほとんど羊水は出てきませんでした。

 

トリアージで3時間ほど過ごす

産院に着いたら、Triageと呼ばれる部屋で 計器を着けたり、点滴用の針を入れられたりしながら、しばらく過ごしました。産院へ着いたばかりの時は、「これって破水ですかねー?」というノリでしたが、座っているうちにけっこう出てきて、「これは間違いないわね」と助産師さんに言われました。3時間くらい過ごしたと思うのですが、長女は緊張していたらしく、あまり騒がずにおとなしくしていました。

 

実母の到着は明日の昼ごろ

実母は、翌日の昼ごろの便で到着する予定でした。チケットを取った時は、予定日1週間前で早すぎるかなと思っていたのですが、この調子では間に合わないかなと思い始めました。今日中に出産になるかな、なんて考えていました。

出産後の部屋は子どもは泊まれないので、今晩は夫と子どもは帰宅することになりそうでした。

 

 14:00 出産する部屋へ移動

部屋は完全個室で、助産師さんも一人基本的に常時ついていてくれます。助産師さんは、6時間交代でした。

陣痛が強くなるまで放っておかれるものかと思っていたら、なにかと話しかけてくれたり、腰を押してくれる人もいました。でも、英語が全然できないので、私の方が気疲れしてしまいました。夫は長女の世話もしないといけないので、話を常に聞けるわけではないし…。

お腹が空いたので、昼食をオーダー。メニューから選び放題で、料金は入院費に含まれていたと思います。

陣痛も5分間隔で強くなってきて、食べるのもままならなくなってきましたが、執念で食べました。

痛みが強い時は、腰を強く押してもらうと確かに楽になりました。これを、夫にやってもらっていたのですが、1〜2時間くらいでギブアップ。というか、もう大変だからいいよ、と忖度(笑)して、自分でツボ押し棒で耐えしのいでいました。

 

羊水を注入

破水しているということで、羊水(の代わりのおそらく生理食塩水)を下から管を入れて注入することになりました。この管は、常時水で子宮を満たすために、付けっ放しになります。

 

17:00 通訳さん登場

 ようやく、通訳さん登場。同じ産院で出産された経験がある方だったので、いろいろ教えてもらえて、頼りになるお姉様的なステキな方でした。一安心。

 

陣痛促進剤

けっこう痛みも増してきたし、子宮口が開いてきているのではないかと思ったのですが、内診の結果、2〜3センチ。朝からほとんど変わっていませんでした。

陣痛促進剤を点滴することになりましたが、痛みが増しますよ、と何度も言われ、けっこうドキドキしました。後で気づいたのですが、アメリカは日本に比べてこの「痛み」に対する感性が違うのではないかと思います。これについては後でまた書く機会があると思います。

 

羊水を足しながら陣痛を耐える苦しさ

 促進剤によって、確かに陣痛は増してきました。普通なら、ここで動き回ったり、ロッキンチェアやバランスボールに乗ったりして痛みを逃しつつお産を進めるのだと思います。助産師さんも、私に動くことを勧めてきました。しかし、私には下から管が入っていて、立ち上がって動くたびに水がびちゃびちゃ出てきます。これは想像を絶する不快な状態でした。できれば動きたくないのです!点滴も繋がれてるし。

トイレへ行かないといけない時は仕方なく動いたのですが、トイレから立ち上がる頃には必ず陣痛がやって来て、それがもう辛くて仕方がなかったです。

 

長女と夫は同室で就寝

 長女はなかなか寝付かれなかったのですが、夫と共に夜11時頃、同じ部屋のソファで寝ました。長女には、明日おばあちゃんが日本から来るよ、と言ってあって、それを楽しみにしているようでしたし、私たちもそれが頼りでした。

長女は、母親がベッドの上から動けないのを見て、こりゃもうだめだと思ったのか、あまり近寄ろうとしませんでした。代わりに夫や通訳さんに甘えていました。

文章からは存在感の見えない夫ですが、朝からの緊張状態と長女の相手で疲労困憊だったと思います。

  

ここで1日が終了です。

2日目に続きます…。

白鳥の湖とかぐや姫

ただ今日本へ一時帰国中ですが、今回は帰国前にあったことを思い出しながら書きます。

 

長女は、小さな子にはよくあるように、好きな絵本やDVDを何度も繰り返し観たがるのですが、最近の娘がはまったのが、「白鳥の湖」と「かぐや姫」でした。

2歳半の頃から「世界名作アニメ絵本」シリーズと、「日本昔話アニメ絵本」シリーズ全巻が大好きです。

 

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白鳥の湖 

ひと月ほど前からしきりに読んでほしがるのが「白鳥の湖」でした。何かが、長女の心を捉えたらしいのです(おそらく、悪魔のロットバルト)。でも、読んでいる方の私は、どうも話の展開が強引すぎるというか、納得いかなくて、読んでいて辛くなってきてしまいました。

「これは、バレエが原作だから、バレエを観た方がいいのでは!?」と思い立ち、図書館でDVDを借りました。

 バレエの代表作だけあって、何枚かありましたが、一番新しそうなのを借りてきました。

バレリーナの名前とか全然分からないのですが、私が素人目に見てもすごいオーラのプリマドンナでした…。

娘は、私が説明してあげると興味を持ち、何度も通して観るようになりました。全3幕を全部です。1日に2回観ることもあって、止めないとずっと観ていたのではないかと思います。確かに面白いんですよね。

実は私もこの歳になるまで、バレエを全幕観たことがありませんでした。バレエ漫画は好きだし、クラシック音楽も好きなのですが、なかなか機会が無くて、全部通してなんていうのは観ないままになってしまっていました。

こんなにのめり込むなんて、貸し出しではなく新しい綺麗な映像のブルーレイなんかを買ってあげようか、と夫と話しています。

色々な演者、演出、衣装によって、見比べたり聴き比べできるのが、クラシックの良い所。今後はもっと楽しみ方を広げてあげたいです。

ちなみに、物語の結末も、演出によりいろいろなパターンがあるようですが、元々は悲劇のようですね。絵本では帳尻合わせのように生き返るのが納得いかないのですが…。

 

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かぐや姫の物語

バレエのDVDを図書館で返却した頃、読みたがり始めたのが「かぐやひめ」です。そこで、うちにあった高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を初めて娘と一緒に観ました。これは、長女妊娠中に授業が大変な時、生徒に見せるために自腹で購入したものです。一目見て「これはすごい作品だ!」と思い、即日購入しました。古典教育のためにも良いです。

原作『竹取物語』に忠実なところと、そうでないところがあるのですが、独自に変えた部分も、「本当はこうだったのではないか」と思えるくらい説得力があって、納得がいくのです。あまり書くとネタバレになってしまいますが、芥川龍之介が、『今昔物語集』などの説話を、近代的な視点で小説に仕立て上げたのと同じくらいの価値が、『かぐや姫の物語』にはあると思います!

圧巻のクライマックスは、あっさりしているのに涙が止まらない。慈悲深いようでいてあまりにも無情。何度観ても感心します。

娘もすぐにのめり込んで、やはり何度も観たがるようになりました。「かぐや姫みたいな着物が着たい!」と言うようになり、そういえば七五三だったことを思い出したりしました。女房装束みたいなものは着られないけれど、お義母さんが古い着物をリメイクしてくださったので、それを着られることになり、長女は満足。私はほっとしました。

 

かぐや姫の物語 [DVD]

うちの娘にもようやくプリンセスブームがやって来たのです。そのプリンセスは、オデットとかぐや姫でした。

3歳の幼児と、7か月の乳児を、一人で連れて飛行機13時間

アメリカから成田まで12時間、成田から名古屋まで1時間、計13時間のフライトを乗り切り、なんとか実家へやってきました!

途中で何度も挫折しそうになりましたが、なんとかなりました…。これはもうひとえに長女の頑張りのおかげだと思います。(何度かキレてしまったけれど…。)しかし、もう一度同じことは絶対にしたくありません。あと、目的地が日本でなければできなかったなと思います(言葉の問題で)。想定外の連続で、思い描いていたシナリオ通りには全くいきませんでした…。一応、同じことをしようとしているどなたかのお役に立てればと思い、メモしておきます。

 

予定

アメリカ(西海岸)〜成田(12時間)

成田〜中部国際空港(50分)

荷物は手荷物のバックパック一つだけにして、長女と手をつなぎ、次女のベビーカーを押す計画。搭乗口までエアバギー+マキシコシを持って行き、エアバギー は乗務員預かりです。

席は真ん中の連続した3席を確保。まだ座れない次女はマキシコシ持ち込みで対応。

一列全部使えるから、私が中央に座って子どもは両端。子どもが多少動いても隣の人とは接していないし、場所をかわれば長女は横になって眠れるし、楽勝!…かと思っていました…が…。(後にこの計画は完全に覆されます)

 

 

準備

これまでの経験から、うちの子にとっては、絵本、タブレットは(持ち運ぶ重さと荷物の量に対して、持つ時間の)コストパフォーマンスが低いと判断しました。最近買った新型のfire  free time は、家ではどんなに言っても大音量でやりたがるので、修羅場が目に見えて恐ろしいので置いてきました。(ヘッドホンは荷物になるし、耳に悪そうで使わせたくないので)

代わりに、薄い雑誌型のワークブックと絵本、塗り絵を用意しました。クレヨンも、色を厳選してジップロックに入れて持っていきます。こういうアナログの方が、かえって時間を使って良いのではないかと思いました。(後にこの計画は完全に覆されます)

映像は、席の前に付いている画面で十分だということが前回までに分かっていたので、それだけを頼りにすることにしました。

あとは、個包装のおやつをなるべく多く!お気に入りのおやつを少しずつジップロックに入れてもいいです。後々、これにかなり救われることになりました。

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実際

想定外その1

長女の隣に座れない!

利用したのはデルタ航空でしたが、なんと、マキシコシは中央の席にしか取り付けられないとその場で言われました(両脇は荷物の取り出し口の下になって危険なため)。これによって、当初の想定が根底から覆され、困難な状態を余儀なくさせられました。でももう、持ち込んでしまったものは置くしかない…。

中央3席の一列を、母親、次女のマキシコシ、長女、の順で座ることになりました。これによってほとんど長女に席から手出しができない状況になり、用意したワークブックも絵本も意味を失ってしまいました。

食事の時など、必要な時は反対側に回って長女を膝に乗せました。次女がちょうど食事の時に寝ていてくれたので、助かりました。

 

想定外その2

長女が歩けない!

上記のような状況なので、長女は食事の時間以外、席の画面を見て過ごしていました。(音は聞こえないのですが、けっこう楽しんでいました)

しかし、そのせいで全く寝ず、寝たのは離陸後の15分と、着陸直前のみ。成田に到着した時に完全に寝入ってしまって、長女をおんぶひもにもなるだっこひも(ベビービョルンのOne)でおんぶすることになりました。次女のマキシコシは、CAさんが出口まで運んでくれて助かりました。

 

想定外その3 

ーベビーカーが使えなくなってる!

さらに悲劇は続きます。飛行機を降りたところでマキシコシを設置するベビーカーを受け取ったわけですが、なんと接続部品が片方外れていて、どうしても取り付けられないのです。破損しているようにも見え、そのことでも一仕事ありました。

何が大変かというと、長女は寝入って歩けないし、次女はマキシコシに収まっているのに、ベビーカーに乗せられないのです!

長女が寝入ってしまうというのは、十分考えられる事態だったので、その場合は次女を抱っこひもで抱っこして、長女を多少無理やりなのですがマキシコシに入れてベビーカーで運ぶ、という作戦でした。実際、こういう事態にはこれまで何度かなったことがあります。

しかし、ベビーカーへの接続部品が壊れた(?)ことによって、ベビーカーとマキシコシが文字通り大きな荷物になってしまいました!これは想定していませんでした。重荷を運ぶための戦力が、逆に重荷になってしまうとは!でも、よく考えたらあり得ないことではないですけれど…。

成田から名古屋への乗り換えと、名古屋に着いてから母親に会うまでの間に、航空会社や空港の職員の方々がどなたか必ず付いて荷物を運んで下さりました。本当に感謝です。

 

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想定外その4

ー名古屋にすぐ着かない!

乗り継ぎまで4時間くらいあったはずなのですが、荷物破損の手続き等でも時間が取られ、何より移動に時間がかかりました。

もう疲れ果てて一刻も早く帰りたい名古屋行きの国内線。成田からの飛行時間は1時間にも満たないはずだったのですが、なんと全員搭乗してから離陸が1時間も遅れてしまいました。あの、飛行機の中で待つの、嫌ですよね…。長女はなぜか着席すると元気を取り戻し、また画面にかじりついて観ていました。

 

想定外その5

ー父と母の連携が取れていない!

母とさえ会えれば、全て安心…!と思っていたのですが、出口で無事会えてほっとしたのも束の間、何と母の携帯の調子が悪く、父と連絡が取れないとか。公衆電話から家にかけても、誰も出ないということで、もう何が起きているのかさっぱりわかりませんでした。

中部国際空港から最寄り駅まで電車で移動して、最寄り駅には父に車で迎えに来てもらうはずだったのに、その父がどこへ行ったのかわからないというのです。とりあえず移動したのですが、最寄り駅に着いたのは深夜。その駅にも父の姿は見えないらしく(母が探しに行ったのでよくわからない)、珍しくものすごい冷え込みで、長女の疲労も甚だしいので、仕方なくタクシーに乗りました。

帰宅すれども父の姿が見えず、家も冷え切っていてもう帰ってきたことを後悔するような状態になってしまいました…。

結局、父は最寄り駅で4時間待っていたそうです…。なんだそりゃ…。

父は、名古屋でうまく合流できたと自宅で連絡を受けてから出ても十分間に合うのに、早く家を出すぎたこと。母の携帯が壊れかけていたこと。不幸なことが重なり、辛かった旅が最後の最後まで辛いものになりました。

 

そのぶん、今だいぶ楽させていただいています。今までよく頑張った、という自分へのご褒美として、甘えさせてもらっています。子育てには口出されないし、いつでも子どもを抱っこしてくれるし、食事洗濯全部やってくれるし、ありがとう、両親!あなた達の娘で本当によかった!!

娘の日本語状況(3歳2ヶ月 在米1年4ヶ月)

にほんごであそぼ」のCD

週4日のスクールへの行き帰りは、車の中でCDを流しています。3歳の誕生日に実家から送ってもらった、「にほんごであそぼ」のCDです。DVDでも観ていた曲が、車の中でも聴けて、娘も喜んでいます。特にお気に入りが「べベンの方丈記」で、これだけをリピート再生しかさせてくれなかった日々が3週間くらい続きました。それくらい、大好きみたいです。何か、娘の心に響くものがあったのでしょう。10年後には原典も読んでほしいです。

CDをきいて私も勉強になることがたくさんありました。一番小さい数の単位が「涅槃寂静」っていうんですね。大きい単位は「無量大数」というのはきいたことがありましたが…。

 

 

 

 

文字を読み始める

3歳1ヶ月の頃、突然絵本の文字を読み始めました。これまでは暗記していたものを唱えるだけだったのが、本当に文字を読み始めたのです。まだ一文字一文字を別々に読んでいる感じですが、速度は少しずつですが上がってきているようです。ひらがなだけです。

文字を書き始める

iPadに入れていたひらがな練習アプリを突然やり始めました。 ひらがなが書きたいのかな、と思って、娘の名前の文字を一緒に紙に書きながら練習したら、書くようになりました。それと同時に、似ている文字も書くようになりました。(「し」と「も」など)

アルファベット練習アプリも楽しんでやっていますが、まだ書くまではいっていません。

公文のワークブック

2歳からできる、と書いてあるので、アメリカで売っているKUMONのワークを3冊買って、2歳過ぎからたまに取り組んでいましたが、3歳間近になった頃に急にできるようになりました。運筆がよくできるようになったのだと思います。

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もどかしい思い

3歳になる少し前から、思っていることと、口から出す言葉がつがなるまでに時間がかかるらしく、「えーと、えと、えと、えーと」としばらく言ってから、ぽつっと言いたいことを言う、ということが続いています。本当はもっともっと言葉にしたいのに、それだけしか言葉がみつからなかったのだな、というもどかしさを感じます。

インターナショナルプリスクールの効果は?

英語に関しては、家では英語を使わないので、実際どこまで使っているのか、理解しているのかはわかりませんが、行っている「インター」の良いところは、英語ネイティブの子ども達も、あいさつ程度の日本語を話し、ひらがなのブロックなどで遊んでいる、ということです。このことによって、娘の日本語への関心が途切れることがなく、むしろ強まっているように感じられます。あとは、娘は思った以上にスペイン語が好きなようです。これは意外でした。

 

 

日本で生活している3歳児と比べると、語彙が少ないのではないか、と少し心配ですが、来月日本へ一時帰国するので、また日本語をたくさん吸収してくれることでしょう。できれば同じくらいの年齢のお友達がいると嬉しいのですが。

 

 

 

 

インターナショナルプリスクールでの1週間

これまで日本語教育を優先してきた娘ですが、この秋(新年度)からインターナショナルプリスクールへ行くことになりました。

娘のこれまでの集団生活は以下の通りです。

  • 7ヶ月〜1歳9ヶ月–  日本の公立保育園
  • 1歳10ヶ月– 2歳5ヶ月– 渡米、自宅で保育
  • 2歳5ヶ月〜3歳 –  日本語保育園、週一回日本語教室
  • 3歳–  インターナショナルプリスクール入園

 

さて、このインターナショナルプリスクールでは、どういうことをしているのでしょうか。基本的には英語を使い、午前と午後に45分くらいずつ任意の言語のクラスがあり、全員そろってのサークルタイム(お集まり)では全言語であいさつをしたり歌ったりするらしいです。英語の他にスペイン語、中国語、日本語の先生がいます。

全員英語ネイティブの先生で、ネイティブの子ども達向けのプリスクールへ通うのは、子どもというよりは私の方がきついかなと思ってしまい、いいとこ取りのこちらの学校に決めました。(アメリカの中でもけっこう珍しいと思います)

果たして、そんなに一度にいろいろな言語にさらして大丈夫なのかと思われるかもしれません。私も最初はそう思いました。しかし、子どもの適応力というのは計り知れないものがあります。頭の柔らかいうちにいろいろな言語を聞いたり、話している人と接することは、良いことはあっても悪いことはないと思いました。しかも日本語も教えてもらえるわけです。そんなわけで、日本人の子はうちの他にも何人かいます。でも、あとの子どもはほとんど現地のネイティブという印象を受けました。

我が家(というか私)のこれまでの方針を転換して、娘を英語にもっと慣れさせようと思った理由は、娘の日本語の理解が進んできて、英語と日本語の区別がつくようになってきたことが大きいです。日本語と日本語以外の言語、という概念が彼女の中にできてきたようなのです。それならば、日本語と英語がごちゃまぜになる、いわゆる「ルー語」(笑)になることもないのではないか、という淡い期待を抱きました(こっちの小学生になると、日本語が「ルー語」になってしまう、という話はよく聞きますが…)。それに、キンダーガーテン(義務教育の幼稚園のようなもの)から英語だけの環境になると、いくら「一年もあれば英語をしゃべるようになる」と言われても、小学1年生になった時に3歳児レベルにようやくなるようではかわいそうじゃないか、と思ったのです。もしもこの国に長く住むことになるなら、義務教育もネイティブと遜色ないレベルからスタートさせないと、マイノリティにとっては圧倒的に不利になる…そういう焦りもありました。現に1歳からアメリカにいるのに、ほとんど英語ではコミュニケーションを取ることができない(する気がない)娘を見ると、ちょっと焦らざるを得ませんでした。

さて、スクールの雰囲気はとにかくアットホームです。というか、普通の一軒家です。それまで「いかにも保育園」という感じの保育園へ通っていたので、「今度からここへ通うよ」と言われて娘も最初は戸惑ったかもしれませんが、すぐに「お家の幼稚園!」といって気に入ったようです。そこで、10人ちょっとの子ども達が、草木に水をやったり、コップを洗ったり、ちょっとした料理のお手伝いをしながら、遊んだり工作したりちょっとお勉強したりするのだそうです。いいな、私も通いたかった、こんなところ…。

前置きが長くなりましたが、そんなプリスクールへ、先週から通い始めました。今日までの娘の変化を書いておきたいと思います。

 

OPEN HOUSE の日

新年度が始まる前日、オープンハウスといって、園児とその家族が自由に校舎の中に入って遊んだり、先生達と話をしたりできる日がありました。この日、次女の病院の予定があったためあまり長い時間はいられなかったのですが、2組の日本人家族に会うことができ、私は少し安心しました。娘も、日本語を話すお友達がいてほっとしたのではないでしょうか。翌日の1日目もすんなり行くことができました。あと、園のお手洗いで用を足すことができました(ご褒美のおやつ作戦でなんとか成功しました)。これができただけでもう万々歳。翌日からの心配がだいぶ減りました。

1日目

特に慣らし期間などなく、いきなり9時〜13時まで預けることになっていました。大丈夫かなと思っていましたが、大好きな「お弁当」を持って元気に出発(保育園は給食でした)。少し準備に手間取ったため、時間より遅めの到着になってしまいました。入り口で、やはり今日が初日の男の子が、お母さんと離れられず中に入るのを渋っているところに遭遇しました。娘も一緒に中に入ろうと先生に誘われて、そのまま入って行く娘。振り返りもしないのは、日本にいたときから変わりません…。君はいつも前を向いていて偉いと、母は思います。日中、娘の遊んでいる写真を、先生が携帯へ送ってくれました。

お迎えは、さすがに疲れたのか、車の中で理不尽な理由で大泣きしたものの(持って来たおやつが少なすぎるというもの)、ひとしきり泣いたらすっきりしたのか、堰を切ったように日本語でしゃべり続けていました。

2日目

朝、相変わらず英語であいさつはできません。でも、よく考えたら日本語保育園でもできていませんでした。反抗というのではなくて、はずかしがってできないのです。しかし、帰りの時は、日本語の先生に笑顔でバイバイできました。日本人の女の子のお友達と仲良くしているのだそうです。「Clean up(お片付け)」という言葉を覚えてきました。

3日目

朝、英語をしゃべる先生がお迎えに出て来てくれた時、車の中から笑顔で手を振れました。まだあいさつはできないのですが、娘が心を開いている証拠です。それだけで、娘が楽しく過ごしているということがわかって、嬉しかったです。

4日目

前日の夜、長女はソファから転落して、小さいもののコブができてしまうくらい頭を強く打ってしまいました。朝まで冷やしましたが、朝もまだ少し膨らんでいたので、大事を取って休ませようとしましたが、娘は「おうちの幼稚園行く!」と行く気満々でした。結局元気なので行くことにしました。

帰ってきたら「More」という言葉を覚えてきました。この頃から「r」の発音がしっかりしてきたなと思います。

5日目

 「これは何色?」と聞くと、日本語と英語で答えてくれました。iPadに入れたひらがな練習アプリにも挑戦し始め、英語だけでなく日本語に対する興味も薄れることなく、むしろ強まっているのかもしれないと感じました。

6日目

スペイン語のあいさつの歌を覚えてきました。日本語では「グーチョキパーで何作ろう」として有名な「Are you sleeping ?〜」のメロディーでした。

また、家でのことですが、6日目の今日、なんと、初めて、日本語の絵本の文字を自分で読みました。それまで、表紙だけとか、一部分だけは読もうとすることがあったのですが、中身はほとんど覚えて読んでいました。しかし今日は、しばらく読んでいなかった赤ちゃん用の絵本を次女のために持ってきたところ、長女が一つひとつ文字を読み始めたのです(『かお かお どんなかお』)。ひと昔前のコンピュータの読み上げ機能みたいな読み方だったので、本当に文字を純粋に読んでいたのがわかりました。うちの子はいままでそんなことをしたことがなかったので、ちょっと感動しました。

 

6日間を終えてみて

英語のプリスクールへ行かせるのは、日本語がおろそかにになりそうで不安だった(というより嫌だった)のですが、期せずして日本語も強化されてきて、とても意外でした。やはり脳は刺激が多いほど活性化するのかもしれません。興味深いです。

英語ができるようになってくると、日本語への興味が失せてしまうのではないかという恐怖はまだ拭えませんが、周りに流される歳になるまではまだ時間はあるので、できるだけ自宅では日本語に取り組ませたいです。

三つ子の魂百まで。3歳のこの一年間で、娘に何をできるようにさせてあげられるか。これからが正念場です。