自分の英語状況(在米7ヶ月)
全く上達しない私の英語
- 在米7ヶ月
これまでのインプット
正直に言って、意識的なインプットはほとんど取り組めませんでした。渡米後から観始めた、Eテレ「おとなの基礎英語」だけは、ほぼ全回観終えて、2周目に入っています。これに出てきたフレーズだけでも自由に使えると、少しこなれた感じになる気がします。ただし、まだ使う機会がほとんどありませんが…。
あと、Youtubeでバイリンガールチカさんの動画を、興味あるものからちょっとずつ観ています。この人の動画の良いところは、「マクドナルドのドライブスルーで注文する」とか、「チーズケーキファクトリー(ファミレス)で食事をする」とか、「アメリカの道路を運転する」のような、普通に英語ができる人の、アメリカ生活の一部を覗き見できるような動画があることです。何より、お店の人の言葉にも字幕を付けてくれているので、こういうこと言われるのだな、という予習になるのです。言われることがだいたい予想してあれば、リスニングの難易度は下がります。そもそも、日本語でも私たちはそういう予想をしているはずなのです。だから、予想外のことを聞かれたり言われたりすると、日本語でも聞き取りが難しくなり、聞き返すことになります。
チカさんの「ペラペラ感」はすぐには真似できるものではないけれど、こういうのが自然な言い方なのだな、という勉強になります。日本語も聞き取りやすいです(「ら抜き言葉」をよく使われるのが個人的にはどうしても気になるのですが…)。
アメリカのマックでドライブスルー英語!// Lesson at the Drive-thru 〔# 206〕
英語で注文!マックのドライブスルー🍟✨ 3年ぶりに♬ 〔#520〕
一度は行きたい!アメリカのチーズケーキ・ファクトリー❤️〔#468〕
どうしても苦手だった「How are you?」の返し方を克服できた動画↓
私が緊張した表情で「I'm fine, thank you.」と言うと、いつも怪訝な?表情をされた謎が解けました。
簡単で自然な挨拶への返し方!英語の挨拶 初心者編☆〔#456〕
ただ、あまりこなれて地元人だと思われると長い会話が発生してしまい、それはそれで困るので、「あ、この人は英語に不自由だけどなんとか頑張って話しているのだな」と思われる程度に不自然にしておいた方が、今のところ都合が良いです。アメリカは、本当にどこでも会話が発生するので、気が抜けません…。
慣れ
正直言って、"Hello." "Thank you." "Yes./No." "You, too. ( "Have a nice〜." の返答) "とそのバリエーションだけで、だいたいの主婦生活はなんとか乗り切れてしまいます。苦手なリスニングですが、毎日同じような生活をしていると、「こういう時、こう言われるな」というのがだいたい分かってくるので、ちゃんと聞こえなくても対応できてしまいます。これが「慣れ」というものなのでしょう。このままいくと、これ以上勉強しなくても毎日乗り切れてしまいそうなので、スキルアップが難しそうです。「在米歴は長いのに、イマイチ英語が上達しない日本人」は結構いるそうなのですが、私も例にもれずそうなってしまいそうです…。
低レベルサバイバル英語術
病院や、初めての場所、シチュエーションなどで英語がどうしても必要な場合、気をつけるようになったのは、以下の点です。
- 最初に英語が話せないと断っておく
- 相手の言葉に安易に「Yes./No.」と言わず、自分の状況を簡単な言葉で言い直す
- 最終的に自分の理解が怪しい場合は、分かっている内容を簡単な言葉で言い直してみて、合っているか確認する
- 聞き取りが難しい場合は、文字にしてもらう(誰でもだいたいスマホを持っているから。ただし、スマホの翻訳機能はほとんど使えないので、英語で書いてもらう。)
- 病院は、いざとなれば無料で通訳が利用できる場合が多いので通訳をお願いする(画面とか電話とかになるらしい)
今後やりたいこと
『必ず使える英会話まる覚え』
夫からお下がりでもらったこのフレーズ集だけでも、一通り覚えたいと思っています。これは、掲載数がそう多くないのに、本当に日常で使うフレーズばかりです。読みやすくて薄くて小さな本なのに…全然手付かずです。一応読んだものの、丸覚えまでいっていないというか。
- 作者: 宮野智靖,ルリアス・ジョセフ
- 出版社/メーカー: ジェイ・リサーチ出版
- 発売日: 2008/09/29
- メディア: 単行本
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初歩的な文法の学び直し
夫曰く、聞けないのも話せないのも文法の問題、だそうです。文法の中でも大切なのは、語順です。これは、一応受験までは英語を勉強した人間(私)にとって、なかなか認めたくないことなのですが、夫も中学で初めて学校で英語を習い、留学経験もないのにこれだけ仕事ができている純国産型バイリンガルであることを考えると、やはり勉強量の差は物を言うのかと思います…。
それから、これは私が思うに、基本的な動詞(have, take, get等)と前置詞の組み合わせの熟語の知識が少ないことが問題です。これをネイティブの人はよく使うので、知らないと当然聞き取れません。
英語字幕を見ていても、実際に発している単語自体は難しくないのに、何言ってるかわからないというのは、このへんに問題がありそうです。日本語でもそうですが、日常会話では、難しい単語はそうそう使いません。難しい単語だと、特徴があるので逆に聞き取りやすい気がします。なんてことのない語の組み合わせの方が、よく使うし、ネイティブは話しやすくするために発音を変化させているので、聞き取り辛いのですよね。しかもネイティブが、「英語が話せない」人相手には、なるべく易しい言葉で話をしようとするので、ますますこの手の表現を使われてしまうわけです。
というわけで、初歩的な語順や熟語の学び直しが今後の課題です。
図書館の無料会話講座(talk time class)
引っ越し前の最寄り図書館に2週間だけ通ったのですが、引っ越してからは通っていません。雰囲気がとても良かったし、自分の文化について話すことが多くて楽しかったので、また行きたいとは思っているのですが、娘の保育園と重ならないのと、お腹が大きくて辛くなってきたので、再開を見送っています。現住所最寄りの中央図書館は、クラスの時間が遅いので行けないのです。
図書館のオンラインESL講座
現在の最寄りの中央図書館のアカウントでは、オンラインで無料のコース?が受けられるようなので、まずはこちらをやってみようかな、と思っています。
Amazon プライムビデオ
昨年末から、リージョンコードが一部解除になりました。これはつまり、日本のアカウントで一部の英語のドラマ(Amazonオリジナルがメイン)を日本語字幕を付けて観ることができるようになったのです。(これまでは、日本のアカウントでは海外でほとんどの番組が見られませんでした。)
これによって、アメリカのアカウントでしか観られず、英語字幕(しかない)をつけて観てもチンプンカンプンだったドラマを、日本語字幕で理解してから英語字幕で復習することが可能です。英語学習の王道と言われる「フレンズ」も観られるようになったようです。ただし、娘と一緒に観たくはないので、観られる時間がどれほどあるか…。
まとめ
渡米してからも育児と妊娠と車の運転を言い訳にして後回しにしてきた英語ですが、車の運転にも慣れてきた今、手をつけ始めるべきなのかなと思っています。
しかし、そうこうしているうちに臨月になってしまい、また新生児育児が始まると思うと、どこまでできるのかは甚だ疑問ではあります。全く我ながら、これに関しては意識が低すぎて自分でも呆れてしまいます…。
今現在の生活では、日本語が通じるところしか主に通っていないし、これ以上の英語スキルが当面必要なさそうだ、という雰囲気が自分を堕落させている気がします。
娘が現地校に通い始めたらそうも言っていられないのですが、最近それもなんとかなりそうだという情報を手に入れ、ますますヤル気が減速傾向です。
さしあたって、出産が今一番間近に控えている英語環境イベントなわけですが、担当の医師は一応日本語が通じますし、もしその先生が来られなかった時は、夫の通訳力と、いざとなればプロの通訳さんをお願いして、あとは本能で乗り切りたいと思います…(出産に関する語彙は自分でもまとめています)。
娘の英語状況(2歳5ヶ月 在米7ヶ月)
娘の英語
- 2歳5ヶ月
- 在米7ヶ月
だいぶ間が空いてしまいましたが、以前書いた娘の日本語の状況と併せて、英語状況も記録しておきます。2歳5ヶ月時点です。実は最近また状況が変わってきてしまったのですが、それについてはまた改めて書きます。
娘の2歳5ヶ月日本語状況↓
気がついたら渡米半年以上経ってしまったのですが、これまで英語に関してはあまり大したことはしていません…。というか、私はできません。したがって、娘はまだほとんど英語は理解もしていないし、話せません(しかもかなりの人見知り)。しかし、少しずつですが、口から出てきているものもあります。なぜか…。何とか記憶を掘り起こして、これまで取り組んできたことを挙げてみたいと思います。
Amazonで売れている本
First 100 Words. (Soft to Touch Board Books)
- 作者: Roger Priddy
- 出版社/メーカー: Priddy
- 発売日: 2011/04/01
- メディア: ハードカバー
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First 100 Animals. (First 100 Soft to Touch Board Books)
- 作者: Roger Priddy
- 出版社/メーカー: Priddy
- 発売日: 2011/04
- メディア: ボードブック
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2歳になる前に、米Amazonでよく売れているらしい、と夫が購入。大きいサイズと小さいサイズがあり、購入したのは小さい方でした。中身は、写真と単語が並んでいるだけで、「これのどこがそんなに良いのか…?」と思ったのですが、買ったばかりの頃、娘はよく見ていました。本屋さんでも大量に平積みされているのを見かけました。娘というより、親の私が、基本的な語彙を確認するのによかった気もします。ただし、動物名はけっこう発音とかも難しいものがあります…。
(英語ネイティブにとっては、もっと小さい子向けの本なのでしょう)
英語の絵本
当たり前ですが、図書館は英語の本ばかりなので、英語の絵本には事欠きません。でも、たくさんありすぎて何を借りたら良いのか途方に暮れてしまいます。自分自身あまり熱心にリサーチしていないのが悪いのですが。
エリック・カールなどの有名どころや、日本人の作家のものも意外とあります。あとは、絵とタイトルで目についたものを適当に選んでいます。悩んでも仕方がないので、ここは質よりも量かな、と割り切っています。
娘が好きなテーマのものだったり、簡単なものは、日本語で説明を加えながら英語で読んでみています。ただ、私のおそらく変な発音を身につけてしまっても困るので、あまり積極的には行っていません。CD付きの絵本もあるので借りてみていますが、まだ楽しむというところまではいっていません。
DVD
ディズニーやお猿のジョージなど、お気に入りのDVDは英語音声で流しても熱心に観ています。最近、ジブリのDVDも大好きになってきて、通して観るようになってきたので、英語音声で見せてもいいかなと思っています。
テレビ番組
うちはケーブルテレビを契約していないので、普通のテレビチャンネルを視聴することはありません。たまに、米アマゾンプライムビデオを視聴しています。
YouTube
英語の子ども向けの歌の動画や、おもちゃ動画がやはり好きですが、保育園に行き始めて、あまり観る時間は無くなりました。
歌
英語の歌える歌は、2歳になった時点では10曲くらいでしたが、今は20〜30曲くらいは一人で歌えると思います。
歌えるようになった歌の意味を、日本語で教えてあげると、シチュエーションに合わせて歌ってくれるようになりました。(雨が降っていると「Rain, Rain, Go Away.」を歌い始める等)
アルファベット
1歳後半で ABC の歌は歌えていましたが、最近ようやくアルファベットの形と音が一致してきたようです。いくつかあやしいものがありますが、9割方わかってきています。まだ大文字のみで、小文字には触れていません。私が教えたので、自分や家族の頭文字を覚えているようです。
あいさつ
「Hello.」「Thank you.」「Bye.」くらいは、言えることは言えて、意味もわかってはいるようなのですが、実際に人を前にして、まだ言ったことがありません。子どもに笑顔で接してくれる人が多いアメリカなのですが、うちの娘は目も合わせられません…。笑顔であいさつできるようになるのは、いつになることやら…。
月・日付・曜日
英語で月と曜日を一通り言える(叫べる)ようになりました。日付はまだ言えません。曜日の感覚は、日本語でもまだもう一歩、という感じです。
まとめ
今のことろ、娘の英語に関しては、アメリカにいる効果は薄いと思われます。逆に言えば、英語が日本語習得に干渉もしていないということだと思います。ただ、保育園に通い始めて少し状況が変わってきました。とりあえず、3歳になるまでは現状維持で様子を見てみようと思います。
臨月・妊娠線
いつの間にか臨月に入っていました。
つまり、運命の36週をなんとか乗り切りました。
何が運命なのかというと、何度か書いていますが、私は前回の妊娠で36週目に妊娠高血圧症候群になり、出産するまで病院から出られなかったのです。(帝王切開したので、産後も1週間近く入院しました)
今回は、医師の指示通りに予防できることはやってみています。そのかいあってか、いまのところまだ何も症状が出ていません。結婚指輪は(朝はさすがにむくんでいますが)まだ取り外しが可能です。先日の尿検査もクリアしました。タンパクが出ていません。
今回の妊娠で出てしまったものは、妊娠線です。
かなり気をつけてクリームを塗っていたのですが、右側の腰のあたり、ちょうど下着の線が来るところに縦に赤い血管のような線が数本出てきました。医師に見せたらやはり妊娠線だそうです。お腹やおしりや胸などに出るのかと思って、そのあたりを重点的に塗っていましたが、まさかこんなところに出るとは。下着の継ぎ目は皮膚の継ぎ目でもあるのでしょうか…。医師曰く、妊娠線が出るのは遺伝なのだそうです。うちの母親はあったのだろうか…?初耳でした。
あまりよくクリームを塗っていなかったところに妊娠線がでてしまった、と夫に伝えたところ、「耳なし芳一か」と言われてしまいました。サイドは、意外と、文字通り盲点ですよね。
無事VBACできますように。
ももたろう大好き(名作アニメ絵本シリーズ)
先月、節分を前にして、鬼の出てくる絵本を読もうと思って「ももたろう」を読み始めたのですが、そのブームが一ヶ月経っても冷めそうにありません。
渡米するにあたって、アニメ絵本シリーズ全巻の中古品を、日本で買って持ってきました。当面の日本語絵本をどうするか、と頭を悩ませた結果です。日本の有名な昔話は知っていてほしいけれど、アメリカでは手に入らないのではないか、と考えました。ついでに、世界の有名な童話も日本語でまずは読んであげたいと思ったので、このシリーズは揃えるには手っ取り早かったのです。一世代前のものですが、内容にそんなに変化はなかろうと思って、中古を買いました。(一冊あたり100円くらい)
ちなみに、他に「こぐまちゃんシリーズ」と「ぐりとぐらシリーズ」と、宮崎駿作品集もまとめて買って持ってきました。(↓日本で撮った写真、暗くてすみません)
実際は、その手のものは紀伊国屋でたくさん売っていました。でもまあ、安く手に入ったので良かったです。
しかし、思いのほか文字が多く、読んでみると結構な時間がかかるので、2歳前後では娘に読むには時期尚早という感じがして、娘の好きな動物が出てくるもの2、3冊だけ出しておいて、残りはまとめてしまってありました。
ところが、2歳半に近くなってくると、戸棚からこのシリーズを少しずつ出して持ってくるようになりました。読んであげると、割とよく聞いています。そこで、「ももたろう」も出して読んでみたところ、気に入ったようなのです。
娘は、鬼やおばけが怖いのですが、でも好きなのですよね…。怖いもの見たさっていうのは、本能としてあるものなんですね。
5回、6回と読んで欲しがることもあります(何度も書きますが、結構な時間がかかります…)。寝る前にはほぼこれと何かをセットで持ってきます。もう最近は、このシリーズの中からしか選んで持ってこない感じです。ある程度長いお話を聞けるようになって、話の面白さを楽しめるようになったからでしょうか。
「きびだんご食べたい」と言うので、これは岡山にでも行かないといけないな、と思っていたところ、先日、なんと大型日本食スーパーできびだんごが売っていたのです!
(↓食べた後のお見苦しい写真ですみません)
きな粉だんご、という感じの味でしたが、原材料には「餅粉」と「きび粉」を確認しました。喉に詰まらせないように細かく切って食べてもらいましたが、喜んでいました。めでたしめでたし。
二人目が生まれる前に、娘への愛を叫ぶ
娘、2歳半です。
「魔の2歳児」という言葉を妊娠中からよく目にしていたので、出産してからも、どんなものなのだろうかと思っていました。今回は、まさに魔の2歳児ど真ん中である我が子が、いかに可愛いか、という内容です。親バカです。
妊娠中に一番心配だったのが、我が子をかわいがれなかったらどうしよう、ということでした。これは結構本気で悩んでいました。お腹の中にいる間は何も言わないし動き回らないけれど、これが外に出た瞬間から泣いたり、少し経てば動き回るようになる、ということが妙に恐ろしく感じられたのです。あと、私は自分の容姿が好きではないので、自分に似てしまったらかわいがれないのではないか、というのも心配でした。
生まれてみると、全く自分に似ておらず、色素が薄くてはじめは金髪だったし、色白でとてもかわいい女の子です。おまけに小さかったです。小さく生まれたので、赤ちゃんの頃の間は、他の子より3ヶ月くらい大きくなるのが遅い感じでした。だから、新生児サイズの期間が長かったです。
泣くには泣くけれど、何もできないし、本当にか弱い赤ちゃん。自分は母親、というよりも、お世話係一号だ、というくらいの責任感と義務感でお世話をしていました。天からの授かりものを、畏れ多くもお育てする、という使命を実行するために、自分は存在しているのだとその時本気で悟りました。
古語の「かしづく」には、「大切に守り育てる」という意味もあるのですが、それがようやく分かりました。確かに、子どもにはかしずいているとしかいいようがない面があります。
もう、これは『竹取物語』の嫗の気持ちです。娘はいつか月に帰ってしまうのではないか、と不安になる時もありました(今でもたまにそう思います)。
この時点でかなり溺愛しているのですが、まだ言葉を話していないからかわいいのではないか、と内心疑っていました。意味のある言葉をしゃべり始めると、女の子は生意気だとか、一人前のことを言うとかで、かわいく感じられなくなるかもしれない、と不安に思っていました。
自分が単なるお世話係から、「母親」になったのだなあ、と実感するようになったのは、娘が1歳3ヶ月になり、「おかあさん」と呼んでくれるようになってからです。実際の発音は、「おかあちゃん」です。
実際、しゃべり始めたら、かわいいのなんの。
まず、声がかわいいのです。こんなに子どもの声ってかわいかったかなと思うくらい、何度聞いてもかわいいです。歌を歌うようになると、それがまたかわいい。
それから、発音がかわいい。「さしすせそ」が、「ちゃちちゅちぇちょ」になるので、何をしゃべってもかわいいのです。私達夫婦は、子どもが生まれても「赤ちゃん言葉」が出ることはなかったのですが、娘が舌足らずなしゃべり方をするようになると、かわいいのでつい真似したくなってしまいます。娘がその場にいない時も、二人でよく娘のモノマネをしています。
最近は、「ちゃ」が「つぁ」になってきました。なぜか。「おとうちゃん」が「おとうつぁん」になります(「おかあちゃん」も然り)。このままいくと、「おとっつぁん」になる日も近いかもしれません。
これだけで、もうしゃべっている内容が何であってもかわいいのです。文字にしてみるとかわいげがないことでも、実際に娘が発していると、かわいいとしか言いようがありません。毎日私は「かわいいなあ」を連発しています。娘は特に喜んでいる節はありませんが。
そして、動きがかわいいです。短い手足で走ったり踊ったりよじ登ったり…もう何をしていてもかわいいのです。2歳って、だいぶ大きくなるし、赤ちゃんのようなかわいさはなくなるよなあ、と思っていたのですが、やっぱりその時その時のかわいさというのがあるものです。それにしても、ここまで2年半子育てをしてきて、何だか、今この時期が一番、妊娠前から想像していた「小さい子どものいる生活」だなあ、としみじみ思います。
「子どもは3歳までに一生分の親孝行をする」という言葉をどこかで聞いたことがあるのですが、この先、どんな風に子どもが成長していっても、これまでの娘のかわいさを胸に頑張ろう、と思えます。逆に、子どもが小さい頃の記憶があるからこそ、親はこの先のティーンネイジャー育児を乗り切れるのではないか(もしくは子離れできないという事態も起こってくる)と思いました。私はこれまで10代の子ども達ばかり見てきたので、子どもというものへの見方が偏っていたように思います。
自分ではその気は全く無かったのですが、今思えば、これまでの私の子どもの見方は「性悪説」的でした。子どもなんて、言うこときかない、ききたくないのが当たり前で、少しでも楽をしようとするし、後先考えずに自分のしたいことを優先するし、他人の迷惑を考える余裕もない。他人の目がなかったり、集団になるとそれは顕著で、そういうものであるということが前提でそこから考えていつも教員という仕事をしてきました。まあ実際、そうする必要があるからそうなっていったのですが。
しかし、我が子を生まれた時から見ていると、やはり「性善説」、人は生まれながらにして「善」である、と思わざるを得ません。もう、善の塊。幸せの塊。毎日一緒にいてくれてありがとう、という気持ちしかありません。
ただし、甘やかしているというのではないつもりです。あいさつや歯磨きなど、しつけや安全・健康に関わることは、言うことを変えないようにして、毅然とした態度で臨んでいます。最近、歯磨きは毎日バトルですね…。本当に頑固な時は頑固な子です。以前は自分で磨きたがって、仕上げ磨きをさせてくれませんでしたが、最近は磨くこと自体を拒否しているので、無理やり仕上げ磨きをせざるを得ない状況です…。
でも、歯磨きが終わると上機嫌で歌い出したり、人形遊びの時に母親と同じことを言って人形に歯磨きしてあげたりと、心には届いているのかな…?と思います。もう少しだと思って頑張ります。
二歳半近くになってから、娘のパーソナリティーに急に変化が出てきました。何だか、しゃべり方が、「お調子者」なのです。それどこで覚えてきたの…?というしゃべり方を、保育園に行く前からし始めました。テレビもそれほど観ていないのに…。あと、変顔も得意です。夫婦で、お互いに、相手に似たんだねと言い合っています。
第二子妊娠中ですが、特に母親に対する執着が高まったりはしていません。これは少し寂しいですが、助かっていることでもあります。元々お父さん大好きっ子(に仕立てるつもりで子育てしていた)なので、良かったです。
現在一番の心配事は、次に生まれてくる子を、長女のようにかわいがることができるのか、ということです。自分自身が次女なので、第二子の扱いに関しては色々思うところがあります。自分の子どもには悲しい思いをさせたくない、とは思うものの、これだけ長女となる娘を溺愛している中で、第二子となる次女を平等に扱えるのだろうか…という不安が常にあります。今はただ、「自分に似ませんように」と祈るばかりです。
とはいえ、自分に似ていたらそれはそれでかわいく思えるかもしれないし、長女を妊娠中に感じていた時と同じように、その心配は杞憂に終わることになるのかもしれません。
日本語教育についてのあれこれ その2
とりとめもない前回の続きです。
最近行き始めた日本語教室は、少人数制なのですが、私以外のお母さん方は全員国際結婚でした(つまりお子さんは皆ハーフちゃんです)。年齢も娘より数ヶ月上の子が多いのですが、だいたい同じくらい(2歳)です。そして、みんなよく日本語をしゃべっています。英語が出てくることは少ないです。(少し小さい子は英語が出てくることがあります)
教室の内容は、日本人向けの早期教育という感じです。漢字やものの名前のフラッシュカードをしたり、ひらがなを書く練習をしたり、みんなで絵本を読んだり、工作をしたり、歌を歌ったり。1時間弱で盛りだくさんの内容です。日本語幼稚園に附属しており、3歳になるとパートタイムからフルタイムまで選べる幼稚園に入ることもできます。この教室の内容を発展させたことを、遊び時間含めて午後までやってくれます。かなり、日本語にどっぷりな環境です。
(ちなみに、ここで日本語の絵本を借りることもできます。)
この教室で知り合ったお母さん方に、気になることをいくつか質問してみました。すると、答えは意外なものばかりでした。家庭によって、もちろん程度の差があるとは思います。私がお話した3〜4家庭は以下のような感じでした。
- 家ではお子さんと何の言語で話していますか? →日本語のみ
- お父さんは日本語を話せますか? →ほとんど話せない(英語のみ)
- お子さんはお父さんとは英語でコミュニケーションをとりますか? →英語はほとんど話さない(父親は子どもが何を言っているのか、だんだんわからなくなってきたらしい)
- この教室以外に、現地のプリスクールなどに通っていますか?また、通わせる予定ですか? →学校関係はこの日本語教室のみ。現地のプリスクールには通わせる予定はない(4歳になったら、5歳からのキンダーガーテン(ほぼ義務教育)の集団生活に慣れさせるために通うかもしれない)
- 子どもには、英語に触れる環境も用意した方がいいと思いますか? →特に必要を感じない キンダーの一年間で十分話せるようになるらしい
- 我が家は夫も日本人だが、英語も教えた方が良いと思いますか? →両親日本人でも、現地校へ行き出すと日本語をさっぱり忘れてしまうらしいので、学校へ行き始めるまでに日本語を少しでもたくさん教えるべきでは?
ここの幼稚園の主催者の先生(女性、日本人)も、国際結婚でお子さんがもう大きいのですが、土曜日には日本語補習校にも通って、立派にバイリンガルに育っているようです。やはり、家庭では徹底して英語を禁止していたとのことです。
バイリンガルを目指すには、徹底して第二言語を鍛えることが必要なようです。まあ、そうですよね…。
特に、ここの教室に通わせるようなお母さんたちは、相対的に日本語教育に対して「意識が高い」人たちばかりだと思います。そのお母さんたちが皆国際結婚だったというのは、興味深い事実だなと思いました(場所柄もあるのですが)。国際結婚ということは、お母さん自身は英語も堪能なのだと思います。それでも、なのか、それだから、なのか。現地校へ行き始めるまでに、少しでも日本語の環境にいて日本語を身につけてほしいという様子でした。逆に、英語に関しては放っておいても大丈夫、というある種の余裕を感じました。
ただ、「家では日本語のみ」といっても、やはり国際結婚の両親の元で育つのと、日本人の親の元で育つのとでは、圧倒的に英語に触れる時間が違うと思います。キンダーへ行くまでほとんど英語に触れさせないで育てるのも、我が家としてはそれはそれで不安になってしまいます。どうしたら良いものか、悩みます…。
我が家では、キンダーに入っても、土曜日の日本語補習校には通わせない、ということが決まっています。これは、大切な土曜日一日を日本式の学校生活に使ってしまうのは勿体無い、という夫の考えによるもので、何度も話し合った結果ようやく私が納得したものであります。その分、私が家で日本語を教えれば良い、ということなのです。それ以外にも、土曜日の過ごし方に関して、まあ私の前職のあり方とか色々なことが積み重なった結果のことなのですが。(従って、私が土曜日に補習校で勤務するという可能性もゼロです)
こういう話をすると、たいていは「家で親が教えるだけでは、難しいのではないか」と言われます。現にお子さんが小学校でどっぷり英語環境にいるお母さんは、その難しさを実感されているのでしょう…。
どうなのでしょうか…。そう言われ続けると自信が無くなってきます…。
ここまで自分が書いてきたものを客観的に読み返してみると、何だか自分が無意味に焦っているのがよくわかりました。どうして子どもに日本語が必要なのか。それは私の、非常に主観的な理由によるものなのです。子どもにとって一番良いことは何なのか。それをもっとこれから考えていくべきですね。今後、日本に帰って日本で教育を受ける可能性があるのならば、ある程度日本流の教育に触れておく必要があります。しかし、我が家の場合はどうかというと、まだまだ先のことでどうなるかわからないものの、夫はしばらくは帰らないつもりのようです。だから、私がこれまでどっぷり浸かっていた「日本的な観点」からの「日本語力」は、それほど必要ないのかもしれません。
これからは日本も、大学入試が変化し、センター試験も2020年を最後に廃止されることが決まっています(新試験の導入)。私はもはや「前時代的」な教員なのでしょう。アクティブラーニング導入により、日本の国語教育も変わっていくと思います(これについては別に意見があるのですが、いずれ記事にしたいです)。
私としてはむしろ、どんどん変わっていってほしいと思います。センター試験なんて、特に国語の試験はもうずっとひどいものだし、本当にやっている意味のないものでした。あれで200点も配点があって将来を左右される受験生は不憫でなりません。(和田秀樹氏はずっと「現代文で高得点を狙うのは諦めよう」的なことを書いています。)点数を取るだけの指導はある程度はできるのですが、年々やっている自分が嫌になってくるのを感じていました。他教科に比べて小問1問あたりの配点が高すぎますし。
やっぱり、現代文は小論文を書かせて、古典は知識問題で実力を問うべきだと思います。センターは選択問題しか出せないくせに読解に偏りすぎて、変な問題になっていました。(これについても別の記事にしたいです…)。こんな力、磨いてどうするんだよ、という。
私はこの異国の地で、日本語とは何か、日本語教育とは何か、娘を見守りながら、のんびり考えていきたいと思います。
日本語教育についてのあれこれ その1
在米日本人にとって、育児する上で重くのしかかってくるものが、日本語教育だと思います。
私は未だに日本人以外のママ友、知り合いがいない状況ですが、ありがたいことに数は着実に増えていっています(行動範囲が広がったことが大きいです)。お話していると、まず何といっても話題になるのが、日本語教育です。
もう、色々と恐ろしいことを聞きます。
- 両親が日本人で、家で日本語しか話していなくても、学校へ行き出すと子どもは英語しか話さなくなる(親は、家では英語を禁止するなど、徹底した態度で臨まないといけない)
- 10歳過ぎまで日本で暮らしていても、1、2年で日本語を話したがらなくなる(←これは、私が思うに学校での人間関係も絡んでくる年頃だからだとは思います)
- 両親が(日本人)大学教授で、家で一生懸命教えて土曜日に補習校に行かせても、ほとんど日本の学習内容は身についていない
- 小学校高学年になると、日本語補習校についていけなくてやめてしまう子どもが多い
- ある日、子どもが、日本語を話したくない(勉強したくない)と言い出す
…等々。
海外に住んでいると、勝手に「バイリンガル」になると思われることが多いようで、私も当初はそう思っていたのですが、実態は全く違います。英語の発音は良かったり、日本語も日常会話なら理解できるので問題なさそうに見えるのですが、実は、どちらも中途半端な「セミリンガル」になる可能性が十分にあるのです。
もちろん、「バイリンガル」が何を意味するのか、どこまでを目指すのか、というのは人によってまちまちで、家庭の数だけ方針があるのだと思います。
でも、大抵どの家庭でも、最初は、「どちらの言語でも大人社会で通用する言語能力を身につけてほしい」と願うのではないでしょうか。しかし、次第にどちらかを取捨選択しなければならない、という事態になる場合があるようです。そして、どちらを選ぶかというと、今後の生活や学習の基盤となる言語、ということになります。つまり、アメリカにいる限りは、英語になるのです。これは、心のどこかで覚悟しておかなければいけないと、最近では思っています。
「大人社会で通用する日本語」を身につけるには、何といっても漢字の読み書きが必須です。日本社会では、漢字ができないと、日本人として、いや人として認められない風潮が色濃くあるのではないでしょうか。例えば帰国子女でいくら英語が堪能でも、日本人の顔をして日本語を話しているのに小学生レベルの簡単な漢字が読めなかったり書き間違っていると、かなりバカにされると思います。(実際社会人になってから必死で漢字を勉強したという人の話を聞きました)
特に私なんかは、(元)国語教員ということもあり、ほんの一年前まではアメリカに住むなんて現実として考えられなかったし、自分の子どもが日本語を話すのは当たり前だと思っていたし、むしろ平均的な日本人よりは日本語や日本文化に親しみを持つように子どもを育てられるだろうと自負していました。
それなのに、自分の娘が最初に挙げたような状況になってしまったとしたら…どうしよう。
もう考えるだけで恐ろしくて、焦ります。
これは、日本国内で英語ができることと、米国内で日本語ができることが、当たり前ですが同じ価値を持たない、ということも関係しています。圧倒的に、後者の方がモチベーションが低くなりがちです。日本語ができて良いことなんて、ほとんどないし、むしろダサい、くらいに思われるのです(ついでに英語ができないのに学校に来る母親が嫌われたりするらしい…涙)。おそらくオタクのアメリカ人で、日本語少しできる人なんかは、たまにいるのですけれどね。
夫には、「日本語ができないことの、何がそんなに嫌なの?」みたいに言われるのですが、もう理性を超えた、本能的な恐怖だと思います。自分の子どもが日本語ができないというのは、自分自身のアイデンティティの崩壊と同義なのです。我が家は家庭内でも、これだけ日本語教育に対して温度差があるのです…。ましてやそれぞれ家庭ごとに色々な方針があるだろうことは想像に難くありません。
そして、意外なことに、この日本語教育について、より熱心なのは、「片方の親(特に母親)が日本人」の、国際結婚カップル親子だということに最近気づきました。
長くなってしまったので、その2に続きます…。